アカデミー・フランセーズ辞書

このところ、仏語のいくつかの単語について、16、17世紀ごろの表記がどうだったかというのを調べる機会があって、オンライン版TLF(Trésor de la Langue Française)とかを覗いたりしていたのだけれど、17世紀以降はやはり基本的にアカデミー・フランセーズ辞書(Dictionnaire de l’Académie Française)の変遷を押さえておく必要を痛感した。というわけで、名著だと思う山田秀男『フランス語史』(駿河台出版、1994)から抜き出しておこう。

  • 1694年 初版 着手から60年で刊行。綴り字は旧態依然とされ、配列は語族による分類。
  • 1718年 第二版 配列をアルファベット順にする。iとj、uとvの区別が明確に。
  • 1740年 第三版 Pierre Joseph Thoulier d’Olivetによる綴り字改革を反映。ただし中途半端。たとえばoiはeの発音になっていたにもかかわらず、そのまま残る。ただ、発音されなくなった子音はだいぶ省かれるようになっている(chasteau → chateau、recepvoir → recevoirなど)。yもiに改めている(celuy-cy → celui-ci)。
  • 1762年 第四版 新語、専門用語を拡充。二重の子音を一つにし、発音されない子音を省く(appeller → appeler、paschal → pascalなど)。
  • 1798〜1801年 第五版 革命関係の語を追加。後にアカデミーはこの版を否認。
  • 1835年 第六版 oiがようやくaiに改められる(j’aimois → j’aimais)。1842年に一万語以上の補遺も出る。
  • 1878年 第七版 特記事項なし。リトレの辞書などに負けている?
  • 1932〜35年 第八版 第七版を大幅に改定。グラン・ロベールやグラン・ラルース、さらには紙版のTLFに負けている?
  • 1986〜 第九版 仏版Wikipediaによると、2007年10月の段階でpiécetteまでとか。

辞書と実際の文献での表記にタイムラグやばらつきがあることは言うまでもないので、これはあくまで目安。実際、第三版の綴り字改革などは世論に押されてやむなく、ということだったようだし、辞書の歩みはいつの時代も遅々たるものか……。

iPod TouchでEBPocket

今日は昼間からここのレンタルサーバが落ちていて、しかも急遽ディスクまで入れ替えるというメンテナンスをやっていたらしい。お盆休みだろうに、IT技術者はこういうことがあると忙しくなってしまって大変だなあ……と。そんなわけで、このページを見ようとしてアクセスできなかった方、ごめんなさい。

さて気を取り直して本題。いまだにWindows CEとかで重宝しているEBPocket。これのiPhone/iPod Touch版が出ていたので、早速使ってみる(こちら無料版→EBPocket free)。ロワイヤル仏和やランダムハウス英和をかなり以前にEPWING形式にしたのだけれど、これでそれらがiPod Touchで(もちろんiPhoneでも)使える(これは嬉しい)。FTPサーバが付いているので、辞書転送も楽。使い勝手は悪くないのだけれど、多少速度が遅いのと、うちのiPod Touchでは、なぜか本体がやや不安定な感じで、ある操作シークエンスで(必ずというわけでもないのだけれど、高い確率で)落ちたりする。有料版(こちら→EBPocket Professional)にしても状況はほぼかわらず。これって何が問題なのかよくわからないが、まあ、今後の改良に期待しよう。

そういえばEPWING形式の辞書が使えるものとしては、ほかにiDicとかもあるようだ(iDictとか、iDictionaryとかの類似品と間違えないよう要注意)。こちらは試したことがないので、詳細は不明。

24人の哲学者の書

これまた懸案だった『24人の哲学者の書』校注版(“Le livre de vingt-quatre pilosophes – résurgence d’un texte du IVe siècle”, trad. Françoise Hudry, Vrin, 2009)を読み始める。これ、テキスト自体は12世紀から13世紀に成立したものとされ、24人の哲学者が、集まった席で「神とは何か」という問いをめぐって議論し、最後にその24人が自分の定義とその説明をしたものを、そのうちの1人が報告したという体裁を取っている。定義と説明と、とても簡素な断章形式で綴られている。その校注版テキストと、それに先立つ論考から成るのがこの本。訳・校注のフランソワーズ・ユドリーの論考はまだ途中までしか見ていないけれど、その24の定義と説明について、もとになった出典をかなり詳細に追っていてすばらしい。断章形式はポルピュリオスの『命題集』を意識したものらしいともいう。全体として、ポルピュリオスの同書や、失われた著作(『哲学史』なるもの)も含むその他の著書、著者不詳らしい『パルメニデス注解』、『カルデア神託』、プロティノスなどが、合わせ鏡かエコールームかのように反響し合っている感じ。さらに4世紀のマリウス・ウィクトリアヌスのテキストとも共鳴するのだという(これが論考の後のほうで重要になっていくようだ)。うーん、この細やかな対応関係には思わず唸ってしまいそうだ。

このところの色々

○静岡方面で地震多発の今週。想定される「東海地震」とは関係ない、と気象庁は相変わらず言っているけれど、素人目には一種の群発地震みたいな感じにしか思えない……。うーん……。でもこの「素人目」には実は長い長い歴史があるわけで、それ自体が面白いものだったりもする(思想史的に)。なんといっても最たるものはアリストテレスの『気象論』での地震の説明(365b21)。地中から吹き上がる発散物が、地上に抜け道を得られないときに一気に内側に流れるため地震が起きるというもの。大地震は夜に起きることが多い、とも語られている。日中は太陽が発散を押さえるからとされている。これって一種の対流の考え方で、温泉などもそれに関係しているとされていて、当時としては結構よくできた説明になっているんでないの(笑)。この説は17世紀頃まで普通に唱えられていたという話もどこかで読んだ気がする。ちょっとこの地震論部分の歴代の注解を追ってみるのも面白そうだ。

○先日テレビで放映していたアニメ版『時をかける少女』。前に一度DVDで見たけれど、今回の放映を録画して見直してみる。いや〜、これもよくできている。何も考えていない脳天気な現代的女子高生が、最後のほうではいろいろ思い悩むようになる。でも一番存在感があるのは、やはりかつては時をかけていたらしい「叔母さん」かしらね。主人公の少女をなぜかとてもおおらかに見守っている(笑)。物語のバランスとして、こういう「後景に退いたかつての主役」キャラを配したところがすばらしい(かな?)。

○少し前にNHK BSでやっていた5夜連続のガンダム30周年特番。これも録画でちょこちょこ視た。アニメ放映の前後に入る「宇宙世紀の歴史が動いた」というパロディが傑作。アニメ評論の氷川竜介氏の「歴史学者っぽい解説」がとてもよかった(笑)。ガンダムの宇宙世紀シリーズも、やはり上の「時かけ」の叔母さんじゃないけれど、基本的には前の主役たちが後景に退き、深い味わいをかもしているのが良いよね。

レオナルドの食卓?

これもちびちびやる就寝前本のつもりが、一気読みになってしまった(笑)。渡辺怜子『レオナルド・ダ・ヴィンチの食卓』(岩波書店、2009)。レオナルドが当時どういう食事を取っていたのかをめぐる、「想像の旅」(オビから借用)。学術的な研究書ではなく、料理研究家のエッセイという感じなのだけれど、レオナルドの手稿から料理に関係していそうな拾っていくとか、とても手作り感あふれる探求のアプローチが好ましい。個人的にはこういうアプローチ、なかなか捨てがたく、共感を覚えるなあ(笑)。食の話が中心かと思えば、そうでもなくて、レオナルドの蔵書を「覗いて」みたり、解剖手稿から当時の解剖について考えてみたり、より広いルネサンス時代の食事全般をまとめたりと、緩急自在な好エッセイ・好試論になっている感じ。

それにしてもレオナルドの日記は、食に関してはひたすら淡泊で、あまりに味気ない(苦笑)。著者は対照的に、同世代の画家ポントルモを取り上げている。何を食べたか、結構こだわって書いているのだという。結構極端な性格だったらしいという。結果的に当時の食に関する資料をもたらしたわけか。ポントルモってあまり馴染みがないなあと思っていたら、なるほどマニエリスムの要人なのね。

代表作の『十字架降架』(↓)。1525年から28年ごろの作。フィレンツェのサンタ・フェリチタ聖堂所蔵とか。写真によって発色がだいぶ違うけれど、全体に淡い感じが漂っている(?)。

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