中世の災害:再び1348年の地震、別アプローチ

1348年のフリウリの地震については、さらにもっと新しい研究も出ているらしい。クリスチャン・ロアという人の「中世盛期における人間と自然災害」(Christian Rohr, ‘Man and Natural Disaster in the Late Middle Ages: The Earthquake in Carinthia and Northern Italy on 25 January 1348 and its Perception’, Environment and History 9(2003): 127-149)というもの。個人の場合はpdf有料なのでまだゲットしていないのだけれど(しかも論文一本で26ドルとか……それはちょっと高すぎでは?)、紹介ページを見てみると、どうやらこれは心性史寄りのアプローチで、人々がどう災害を受け止めたかを探ろうという方向のものらしい。同じ人の別論文はないかと検索したら、たぶん上記の論文と重なると思われる、ノヴォシビルスク大学での2002年のレクチャー原稿があった。それが「中世における人間と自然」というもの(pdfファイル→“Man and nature in Middle Ages”)。研究メソッドの紹介(著者が用いるメンタリティバウンドアプローチの解説もある)と中世の自然観の変遷(とくにトゥールのグレゴリウスの災害の記述が、文献的な出典の引用にすぎないことなどの指摘は重要かも)、森林開発や治水などの概括をへて、最後に災害への対応ということで1348年の地震が言及されている。

1348年の地震への言及が文献的に豊富なのは、ちょうど黒死病の流行と同時期だったためだというけれど、著者は一般に言われるような、黒死病ともども地震が神のくだす罰だと見なされたという話には懐疑的だ。ハンメルルの紹介しているペトラルカの手記も、実際には地震から20年も後に記されていて、初期の人文主義的な自然観が投影されているという。また「揺れで教会の鐘が鳴り出した」という話も、教会の鐘が祈りを促すものという意味合いから、地震と世の終末との連想に繋がった可能性があるとしているものの、そういう終末論的解釈は多くは見られないという。しかもそれは教会ではなく、民衆の間から出てきている可能性もあるのだとか(ジョヴァンニ・ヴィラーニの手記)。さらに上のような、地震を神の罰と見なす解釈は、同時代の文献にはほとんど見られず、これまた後の初期近代の回顧的な記述の中にむしろ多く見出されるという指摘は興味深い。また、教会側の解釈にはアリストテレス的・スコラ学的な「理性的解釈」(自然学の記述にもとづく)もあるというが、一方で超自然的な言及もあったりして、著者たちが記そうとした民衆的な不安を読みとることもできるかもしれないという。また最後には、その地震の復興がかなりの長期にわたったことも著者は指摘している。黒死病が重なったことや、地震のあったケルンテン地方が当時あまり組織的に管理されていなかったこと(中央から遠い)ことなどがその原因ではないかという。

↓wikipedia(en)から、時代は違うが、1755年のリスボン地震を描いた版画。地震のあった同年に作られたもの。津波の被害が描かれている。