フランシスコ会とストア派

オリヴィ関連の論文として、メルマガのほうで何回か取り上げる予定のトロイヴァネン「動物の意識:感覚的魂の認識機能についてのオリヴィ」(Juhana Troivanen, “Animal consciousness: Peter Olivi on cognitive functions of the sensitive soul”, Jyväskylä University, 2009 →PDF)。これの序文によると(メルマガの繰り返しになるけれど)、オリヴィの知覚・認識論でひときわ特徴的なのが、感覚器官にありながら魂にも局在する諸感覚を統合する司令塔のような部分があると考えていることだという。で、著者はこれが一つにはストア派の「ヘゲモニコン」に類似するものだということを指摘している。「ヘゲモニコン」は指導理性みたいに訳されたりしているけれど、要は魂の指導的部分・主要部分のことで、SVF(初期ストア派断片集)IIの836に詳細な説明が載っている。「ストア派は、ヘゲモニコンが魂の最高の部分で、像や賛意、感覚、運動などを生み出すものだと述べ、それを理性と称している。ヘゲモニコンからは魂の七つの部分が生まれ、タコの触手のように肉体へと伸びている」。オリヴィのその司令塔部分が果たして本当にこれに重なるようなものなのかどうかはテキストを調べてみないとわからないけれど、論文の著者はこれを受けて、フランシスコ会へのストア派の影響という文脈を示唆している。中世にはセネカがとりわけ幅広く読まれ注解書が書かれたりもしていたといい、フランシスコ会ではとくにそうで、ロジャー・ベーコンなどはセネカを下敷きにした倫理学の教科書まで記しているという。またキケロもそう。ただ、ストア派の思想はキリスト教世界に大きな影響を及ぼしたものの、中世の思想家たちには明確にストア派的な思想として取り上げられているわけではないため、全体としてその影響関係は見えにくくなっているとも述べている。そのため中世思想の中にストア派をトレースするのは困難だとも……。一方で著者は、G.ヴェルベケの「引用だけでなく教義的な影響関係もさぐって、間接的なストア派の遺産の浸透を明らかにしなくてはならない」との言葉を引いて、明確なリファレンスの不在は乗り越えられない問題ではないとも宣言してはいるが……。

個人的にもフランシスコ会とストア派というのはとても注目しがいのあるトピックだと思うのだけれど、なるほどこれは狭い意味での実証的アプローチを越えて、比較研究のようなアプローチが必要になってくるというわけだ。具体的にどう探ればよいのかも含めて、この論文の本文を読みつつ併せて考えてみることにしよう。

↓コルドバにあるというセネカの像(ウィキペディアより)