『哲学の慰め』注釈小史

またしても面白い論考だ。「『プラトン主義者はアリストテレス主義者より偉大なり』:12世紀から17世紀までの、『哲学の慰め』におけるボエティウスのプラトン主義解釈」(Lodi Nauta, “Magis sit Platonicus quam Aristotelicus”: Interpretations of Boethius’s Platonism in the Consolatio Philosophiae From the Twelfth to the Seventeenth Century, in The Platonic tradition in the Middle Ages: a doxographic approach, Walter De Gruyter, 2002)(PDFはこちら)は、ボエティウスの同著作についての注釈小史をまとめたもの。ボエティウスはキリスト教の伝統において重要な人物とされるものの、その最後の著作である『哲学の慰め』においては、キリスト教の教義に触れていないことと、身体に入る前の魂の存在がたびたび暗示されることにより、後世の注釈者たちを大いに悩ませることになる。ある人々は、ボエティウスが示すプラトン主義がキリスト教の教義に沿うものであることを、プラトンの言葉の意味解釈を深めることで示そうとし、また別のある人々は、そうしたプラトン主義とキリスト教の摺り合わせを拒絶しようとした。さらにほかにも、ボエティウスのプラトン主義への忠誠を低めようとする論者もいたり、文献学的な注釈だけに留めようとする動きもあったり、また17世紀ごろにはプラトン主義をまるごと真摯に受け止めようという向きもあったという。

で、著者はとりわけ最初の、プラトン主義とキリスト教とを和解させようとする動きに注目し、何人かの論者たちを取り上げ、特に世界創造の問題と魂の先在の議論について比較を試みる。取り上げられるのは、コンシュのギヨーム、ニコラス・トレヴェット、アラゴンのウィリアム(アリストテレス的解釈者)、バディウス・アスケンシウス(16世紀初頭)、ヨハネス・ムルメリウス(16世紀初頭)、レナトゥス・ヴァリヌス(17世紀)ほか。この人文主義者たち以降の解釈も興味をそそるのだけれど、個人的にここで一番惹かれるのは、13世紀末から14世紀にかけて活躍したニコラス・トレヴェット。ボエティウスだけでなく、聖書のほか、セネカ(小)の悲劇、セネカ(大)の『雄弁術』、アウグスティヌス『神の国』、リウィウス『ローマ建国史』などの注釈もあるという。当時はかなり人気の書き手だったとのことだ。ボエティウスの解釈に関しては、コンシュのギヨームと同様に、プラトン主義はその言葉づかいのうちに(キリスト教から見た)健全かつ妥当な哲学が見出されるとの立場に立っているといい、この論考を読む限り、どこか曖昧さを残す箇所があったり、やや強引とも取れる解釈の箇所があったりと、なにやらあの手この手を駆使している印象。そこがまたとても面白そうな気配。