フィロンの古代占星術批判

アレクサンドリアのフィロンといえば、紀元前20年ごろから紀元50年ごろまで生きたとされる、ヘレニズム期のユダヤ人哲学者。で、そのフィロンが古代の占星術に対してどういう立場を取っていたかを検証する論考を見てみた。ジョアン・テイラー&デイヴィド・ヘイ「アレクサンドリアのフィロン『観想的生について』における占星術」(Joan E. Talyor with David Hay, Astrology in Philo of Alexandria’s De Vita Contemplativa, paper read at ARAM Society for Syro-Mesopotamian Studies 29th International Conference, University of Oxford, 08-10 July 2010)というもの。フィロンは一般に、寓意的解釈を通じてギリシア思想の諸概念をユダヤ教思想に取り込もうとした、などといわれるけれど、同論考によれば、様々な異教の神を奉じるカルト的な集団が多数存在していた当時のアレクサンドリアの状況にあって、それらをことごとく誤りとして斥けないわけにはいかなかったようだ。とりわけ、神ではなしに被造物である元素を奉じる人々や、星辰を崇める人々が笑止千万として描かれているという(個人的に『観想的生について』は昔読んだはずなのだが、そんなのあったっけ−−というくらいすっかり忘れてしまっている(苦笑))。それはたとえばストア派の集団で、ゼウスを火に、ヘラを空気に、ポセイドンを水に結びつけていたりする(別様の結びつけかたにはエンペドクレスのものとかいろいろあるようだ)。フィロンはさらに、そうした元素崇拝の人々を、太陽や月、惑星を崇める人々と関連づけているという(一方でギリシアの神々が惑星と同一視される伝統はプラトンの時代(紀元前5世紀末)までには確立していたというから、それはわからなくもない……かな?)。

フィロンはアストロノミアという語を用いているという。後代にまで受け継がれるように、その語には天文学と占星術の両方の意味があるようで、ある意味当然ながら後者にいう占星術はバビロニア(あるいはカルデア)のものと関係が深い、と。で、フィロンはアブラハムがカルデアを去る話を、カルデア的信仰からの離別と解釈しているという。つまり、アブラハムは「アストロノミアに関わる気象学者(つまりは占星術師)の異教の教説を捨てた」(『眠りについて』1:161)というわけだ。あらゆることを天体の運行に関連づけるカルデア人の信仰を、このようにフィロンはことあるごとに批判するのだというのだが、一方で、「天文学」としての意味合いでのアストロノミアは、学知として高く評価してもいるのだという。両義的?いやいやそうではないようだ。占星術が用いるシンボリズムをフィロンは使いこなしてもいるらしいのだが、論文著者によれば、それはわけあってのこと。エジプトではセラピス神のカルト集団がカルデアの星辰崇拝と太陽崇拝とを統合していたといい、フィロンはあえてカルデア的星辰崇拝を用いることで、とりわけそうしたセラピス信仰の集団が突きつける占星術的側面を斥けようとしていたのだという。一度相手の土俵に立ってそこから切り込むということか(?)。うーむ、そのあたりはなかなか面白そうだ。フィロンの著作も読み返したり読み進めたりしてみたい。

アンドレ・テヴェ(16世紀)の『偉人集』から、フィロンの肖像画
アンドレ・テヴェ(16世紀)の『偉人集』から、フィロンの肖像画