中世のイリアス

失礼して再びガンダム話から入ろう(30周年なのでご勘弁)。最初期のガンダムがギリシアっぽいリファレンスに満ちているのはよく知られたところ。ホワイトベースを敵側は「木馬」と呼ぶし、シャアのヘルメットもどこかギリシアの軍の装備を思わせる。ZガンダムのZも「ゼータ」と読ませるし、ティターンズっていわゆるティタン(ウラノスとガイアの子たち)だし……云々。でも、戦場で一部のエリート戦士同士がライバルとして一騎打ちをするという構図は、ギリシアというよりもむしろ中世の騎馬試合のような感じでもあり(苦笑)、全体としてこれはどこか中世的プリズムを通して見たギリシア像を下敷きにしている印象を受けたりもする……。

とまあ、そんなこともあって(笑)、一度読みかけて中断してあった『イリアス–トロイア戦争をめぐる12世紀の叙事詩』(“L’Iliade – épopée du XIIe siècle sur la guerre de Troye”, trad. Francine Mora, Brepolis, 2003)を少しばかり眺め直してみる。1183年から1190年ごろに、エクセターのジョゼフという英国の聖職者が書いたラテン語の叙事詩の一部を羅仏対訳で収録した本。これの序文に、トロイア戦争の中世での受容に関してのごく簡単なまとめがある。それによると、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』のギリシア語原典がビザンツの大使からペトラルカにもたらされるのが1353年だそうで、それ以前には、1世紀ごろのラテン語訳イリアスを始めとする各種ラテン語版のトロイア戦記(4世紀から6世紀にかけてのもの)がまずあって、次に11世紀以降に詩人たちが古来のテキストをもとに詩作を始め、さらに12世紀から13世紀にかけてラテン語版の叙事詩と、それに次いで世俗語版が多数出てくるのだという。トロイア戦争ものは、「11世紀から12世紀にかけて、詩的想像力の特権的トポスになった」のだそうだ。そうした動きの背景に、12世紀ごろの都市化と識字率の高まりや、系譜への関心の高まりなどがあるという。まさに12世紀ルネサンスの中核部分を占めていたというところか。