大学の起源

昨日の続きということで、C.H.ハスキンズ『大学の起源』(青木靖三ほか訳、八坂書房)をさっそく見てみた。おー、いきなり冒頭でサレルノの医学大学や、ボローニャ大学の話が出ている。サレルノはボローニャよりも古いといい、後者はローマ法の復活ということで法学部が重要な地位を得ていたらしい。確かに後には、司教座聖堂学校から転じたらしいパリ大学が模範のようになって、神学が最高の課目とされるのだけれど、サレルノやボローニャなどは実学指向だったというわけだ。そうそう、そういう感じよね。ところでハスキンズのこの本、巻末にいくつかの大学関連の史料が邦訳で収録されているのがとりわけ素晴らしい(ボローニャ大学で使われていた教科書の一覧とか、トゥールーズ大学、ライプチヒ大学の講義時間表などもあって興味深い)。原書は1957年で、ハスキンズが1923年にブラウン大学で行った講義がもとだという。邦訳ももとは1970年刊。それが77年に教養文庫に入り、そして今また、大学がらみの問題が噴出している今になって再刊されたということらしい。ナイスなタイミングでの再刊に拍手。

「大学の起源」への2件のフィードバック

  1. はたして神学は「虚学」だったのでしょうか。
    当時にあっては、神学の知識が法学や医学以上に社会的上昇と威信をもたらすこともあったのではないかと思います。

    ちなみに「実学」という言葉は、宋学の連中が自らを仏教・道教のような「虚学」と対比させたことに由来すると最近知って驚きました。

  2. ありがとうございます。そうですね、実際、あとの時代になっても都市部の貴族とかの第二子などは、財産を世襲できないのでさしあたり聖職者をめざすしかなかったとか言いますし。神学は今ならば経済学や経営学みたいな扱いだったのでは、と思われる節もありますよね。ま、経営学とかも見方によっては虚学だなんて言われたりもしますが……(笑)

    そういえば広辞苑で実学を引くと「其味無窮、皆実学也」なんてのが紹介されていますね。

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