久々にヒルデガルト論を眺める

研究発表のペーパーないしレジュメ、研究計画のようなものだと思うのだけれど、ビンゲンのヒルデガルトについての小論を読む。ケヴィン・アンソニー・ヘイ「ヒルデガルトの医術、中世ヨーロッパの体系的医術」(Kevin Anthony Hay, ‘Hildegard’s Medicine: A Systematic Science of Medieval Europe’, The Proceedings of the 17th Annual History of Medicine Days, March 7th and 8th, 2008 (University of Calgary, 2008))。12世紀のヒルデガルトは女性ヒーラーの有名どころでもあるけれど、ここではその著『原因と治療』(Causae et curae)を中心として、その医術について主要な論点を至極順当に(スタンダードに)まとめている。一つ前の投稿にもあるように、13、4世紀に大学が医学教育の拠点として本格化する前は、サレルノなどは例外として、医学的知識は修道院に蓄えられていたとされる。よって12世紀ごろは、大学で教育された医者というのはほとんど各地にはおらず、女性の治療師は主に修道院を中心に地域の医療を賄っていた可能性が高いという。ヒルデガルトはそういう存在の一人だったというわけだ。Causae et Curaeに記された内容の出典として、この著者は(1)聖書、(2)古来のラテン語文献、(3)修道院で伝えられていた実践的知識、そして(4)ドイツ農村部の民間療法の知識などを挙げている。これもまた順当。個人的には以前、ヒルデガルトの著書を一時期それなりに精力的に読んだことがあるのだけれど、確かにその治療についてのものは一種独特なテキストになっていたような気がする。そのうち再読したいけれど、上の四つの出典部分それぞれを切り出して検証する、みたいな読み方は確かに面白そうな気がする。もちろん、この著者も含めて、そういう作業をしている人もいるだろうし、すでに論文としてまとめられているものがあればそちらも参照したいところ。

↓Wikipedia (en) より、啓示を受けるヒルデガルト(『スキヴィアス』の挿絵、自画像?)

民間のヒーラー

ロリ・A・ウッズ『修道院制度と医術:500年から1100年までの治療行為におけるジェンダー的活動』(Lori A. Woods, “Monasticism and medicine: Gendered activities in healing practices, 500-1100”, University of Calgary, 1998)という修士論文を眺めているところ。聖人伝などのテキストをもとに、初期中世のいわゆる治療師(ヒーラー)について多面的にまとめたもののよう。まだ最初の章を見ただけだけれど、なかなか面白そう。冒頭では、序論ということで、まず13世紀後半ごろの盛期の医学状況に簡単に触れている。当時は大学での医学が制度として確立されつつある頃で、そのため、それまで医療を担っていた修道院や民間の女性の治療師が徐々に迫害されていく途上にあったという。その一例として、アルマニアのジャコバ・フェリシ(Jacoba Felicie de Almania)という女性治療師の裁判(1322年、パリ)が挙げられている。1271年の法律により、外科医、薬剤師、薬草商などが処方することなどは禁じられていたものの、この人物はそうした治療行為を行った廉で告発されたという。記録からは、民間人だったジャコバの治療は成功例も多く、経験的な知識に根ざしたその知見もかなり精緻なもので、病気の診断に採尿まで行っていたという。彼女が体現していたとされる知識の根っこは、ギリシア・ローマ時代からの伝統と西欧独自に展開した薬学・薬草の知識、さらにはより新しいスコラ学ベースの自然学。ジャコバが適用しなかったのは、せいぜい医療占星術的な知と、四大体液の理論くらいだったという。結局、教会から破門宣告を受けることになってしまうというが、まさに制度と個人とのせめぎ合いの一例だ。しかも著者はそこに、ジェンダー的な視点も入れている。女性が正規の学問的医術にアクセスするのは難しかったものの、それまで伝統的に教会で治療行為を担っていたのは女性だという事実もあったという。こうして著者は、いよいよそれ以前の治療師(主に女性の)の記録として聖人伝を読むという、なかなか大胆な(?)探求に乗り出すことになる……。そちらも面白そうだが、この13、14世紀ごろの治療師の裁判記録というのもとても気になる。モノグラフを探してみようかしら。

↓wikipedia (en)から、中世の歯医者。14世紀半ばごろ

アベラール再び

『ケンブリッジ必携』シリーズはいろいろな思想家のものが出ていて、アベラールの巻(“Cambridge Companion to Abelard”, ed. Jeffery Brower et al, Cambridge University Press, 2004)ももちろんあるわけだけれど、これに収録されているピーター・キングの「アベラールの形而上学」(Peter King, ‘THE METAPHYSICS OF PETER ABELARD’, pp.65-125)がPDF(→こちら)で公開されているのを最近知る。さっそく落として、今前半くらいまでをざっと見ているところ。アベラールは従来、どちらかというと普遍論争がらみや論理学方面から取り上げられることが多いという印象なので、その「形而上学」の概要をまとめるというのは結構珍しいのではないかという気がする。で、この論考でもまずその唯名論者(反実在論者)的な面から入っていく。アベラールが実在論を斥ける議論を展開しているのは、有名な例の「Logica Ingredientibus」だけれど、この論文の著者は少し細かく紹介している。アベラールがボエティウスの示す「普遍」の基準に合致しないとして斥けるのは実在論は、物質的本質を認めるタイプの実在論(一般的な実在論)と、集合的実在論(部分が集まったものを普遍とするという実在論)、中立理論(シャンポーのギヨーム:個物のみが存在するとしつつ、その個物の中立的同一性を普遍とする実在論)などがあったとされている。で、その上でアベラールが考えていた個物についてのまとめがあり、その基本的な質料形相論が、アベラールの唱える二段階創造説の文脈(無からの元素の創造と、その後の形相の創造)から紹介される。形相と質料の密接な相互関係などが強調されているといい、一方で人間の魂は形相そのものではなく形相に類するもの、といった議論を展開しているとされ、なにやらそのあたり、後世のアウグスティヌス主義を彷彿とさせたりもする。このあたりの話は、ポルピュリオスのエイサゴーゲーへの注解(Logica Ingredientibusの1巻目)からのものなのだとか。

その後、今度は全体と部分、本性、可能態といった諸概念についてのアベラールの立ち位置が検証されていく。たとえば最初の全体と部分についてでは、アベラールは共通の本質が分有されるという普遍的全体という考えを斥け、むしろ部分の集合が認識論的に統合されるという統合的全体の理論(これもまた唯名論的だ)を唱えるのだとか。ただし近代的なメレオロジーとはいかず、たとえば類から種への分割という場合、ほかよりも優先的とされる種への分割が前提となっているという。いずれにしても、このようにアベラールの形而上学は全体として、その唯名論(反実在論)的なスタンスによって支えられていることが繰り返し強調されている。ふーむ、でもこのLogica Ingredientibusはやはりかなり特異なものという印象を受ける。というのも、このテキスト以外でのアベラールの議論は、どちかというと実在論と唯名論の折衷案というか、なにがしか中庸的な議論をなしていたように思えるから。Logica ingredientibusは長大なテキストだけれど、やはりそのうち目を通す必要があるかもなあ、と少し身震いする(笑)。

支持体とか技法とか(レンブラント展)

昨日だけれど、なかなか時間が見つからずに先延ばしにしてきた「レンブラント – 光の探求/闇の誘惑」展にようやく足を運べた。今回の展示で興味深いのは、なんといっても版画が主体だということ。しかも単に有名作品を漫然と並べるのではなく、レンブラント(や同時代人たち)が駆使していた技法(エッチング、ドライポイント、ビュラン(エングレーヴィング))の効果の違いや、あるいは使用する支持体(通常の版画紙、羊皮紙、和紙)の違いがとてもよくわかるという、とても面白い展示になっている。こちらの解説ページにそうした技法や支持体の解説があるけれど、和紙とヴェラムに刷った場合に、インクのしみ込み具合が通常の西洋紙(当時はボロ布で作られてた)よりもいい感じになっている。ヴェラムと和紙の間はそれほど大きな差はない気がするのだけれど、和紙が多用されているということはヴェラムよりもそちらが多少とも廉価だったのだろうか。確認できていないけれど、ちょっとそのあたりが気になるところ。また、エッチング、ドライポイント、エングレーヴィングの差については、たとえばこちらのrembrandtpainting.netのetchingのページに解説があって、例が挙げられている。展示では、後から手が加わったものと、それ以前のものとの比較などもあり、媒体の違いと併せて作品を「過程」として見せるという感じの主旨らしく、いままでにあまりなかったような印象を抱かせる。こうなってくると、関連する論文などを読んでみたくなってくる。レンブラントあたりともなると、いろいろと書籍や論文も出ているみたいだけれど、一方で技法や支持体からの研究というのはそれほど多くはなさそうな印象。たとえばざっと検索して出てくる「計算インテリジェンスの支援によるレンブラントのエッチングの年代特定と鑑定」(“Dating and authentication of Rembrandt’s etchings with the help of computational intelligence”, Cultural Heritage and Technologies in the Third Millennium (ichim01), Vol. 2 (September 2001), pp. 485-492. →PDF )なんて論考(というか作業報告)では、年代特定と真偽判断に、紙の組成からのアプローチを採用している。そんなわけで16、17世紀のヨーロッパでの製紙法の概要にも触れていたりする。うーん、これはこれで参考になるけれど、でもどちらかといえば、物質的な面からのアプローチを絡めつつ展開する美学系・芸術論系の話を読みたい気がするのだけれど(笑)。

↓wikipedia (en)より、今回の展示にもあった「三本の十字架」

J. L. ナンシー本

ちょっとこのところ個人的に、取り寄せる仏語書籍が全般に不調……というか、要するに巡り合わせが今一つという感じなのだけれど、こういう時期というのはたまにある。こういう場合には、むしろ多少とも引っかかりのあるものが脱するきっかけになったりする(経験上)。というわけで、そういう事例として「キリスト教の脱構築第2巻」という副題のついたJ.L.ナンシーの新作『崇拝』(Jean-Luc Nancy, “L’Adoration (Déconstruction du christianisme, 2)”, Galilée, 2010)を挙げておこう。まあ、一種の詩(=思想書)だと思って読めばそれなりに楽しい(苦笑)。ただ、生産性のある議論なのかどうかは疑問もないわけではないが……。1巻目が出たのが2005年だったので、ちょっと間が開いているのだから何か新しい知見はあるのかと期待していていたものの、なにやら前回示された議論(キリスト教それ自体に脱構築の運動が内包されていて、結局西欧の歴史はその自己展開のように読むことができ、その運動の行き着く先は、理性が理性そのものを越えていくような次元にまで至るのではないか、そのために「囲いを壊す」必要がある云々)がひたすら反復されている印象だ。このブログの前身のブログで前作を取り上げた際、ある種の宗教的信仰に陥らない・横滑りしない信(心)というものがはたしてありうるのか、みたいな感想を書いたのだけれど(笑)。どうやらナンシーはそういう信のあり方を、この「崇拝」という語に託しているようだ。空虚(神はもはや不在なので)に向けられたそれは、思惟そのものでもある、と著者はいう。でも、やはり全体的に「それだけなの?」みたいなどこか満たされない読後感が残ってしまう。キリスト教を脱するキリスト教的な知が、純粋な思惟となることは、一体何によって担保されるのかとか、宗教的文脈から離れる「崇拝」は、それでもなお一種の神秘主義のような、否定神学のようなものにとどまらないのかとか、いろいろな疑問を呼び寄せてしまう……(?)。著者にしてみれば、いくらでも言い足りなさが残るような議論なのだろうが、読者にしてみれば、いくらでも読み足りなさが残る議論かもしれない。