グロステストを復習する

オリヴィなどフランシスコ会系の認識論にこのところ滞留している感じなのだけれど(苦笑)、その一環としてロバート・グロステストについての論考を読む。ジョン・シャノン・ヘンドリクス「ロバート・グロステストの著作における新プラトン主義の影響」(Hendrix, John Shannon, “Neoplatonic Influence in the Writings of Robert Grosseteste” (2008). School of Architecture, Art, and Historic Preservation Faculty Papers. Paper 6.。ひねりのない実直なタイトルだが、中身も実直そのもので、その名の通りグロステストの著作から、「光」「知覚」「想像力」「知解」といったキータームを抜き出し、アラビア経由で伝えられた新プラトン主義(おもにプロティノス)の類似のコンセプトとの比較をし、その照応ぶりをまとめたもの。それほど新しい知見のようなものはない気がするので、目新しさを求める向きには面白くないかもしれないけれど、テーマ別にほどよくまとまっていて、さしあたりの復習をしようというときにはもってこいかもしれない(笑)。目下の個人的関心からすると、とりわけポイントとなるのはやはりスペキエスの扱い。普遍と個物の関係をグロステストは光源(lux)と生成された光(lumen)の関係に重ね合わせているようで、「存在の原理」(principia essendi)としてのスペキエス(未確認だけれど、グロステストはそういう言い方をしているのか……?)は普遍的形相とイコールとされて、事物のうちにあるときには「個」をなし、事物以前、事物以後においては「普遍」としてある、とされるのだという。その場合の「普遍」というのはつまり、現実的には可能態としてあり、ただ精神の内においては現実態としてあるものなのだ、と。ふむふむ。知解のレベルと事物のレベルにおける形相の在り方が整理されていて参考になる。

↓wikipedia(jp)より、13世紀イングランドの写本に描かれたグロステスト

老いのトポス

老親を引き取って一ヶ月以上が経つが、認知症による異常行動にはいろいろ唖然とさせられる。それらへの対応やケアはなかなかに大変なのだけれど、それについてはまたそのうち改めて考察するとして、とりあえずタイムリーな感じで「老人」をめぐる中世のトポスについて考察した論文が紹介されていたので、さっそく読んでみた。マイケル・グディッチ「中世後期における高齢者の美徳と悪」(Michael Goodich、’The virtues and vices of old people in the late middle ages’ in International Journal of Aging and Human Development, Vol.30:2 (1990)というもの。経済的・文化的繁栄や人口増加が見られた13世紀には、寿命の延びと相まって老齢期への関心が高まっていく(もちろん、幼児期、青年期などのその他の人生の諸段階についても同様なのだが)。こうして老齢期をほかにない人生の一段階とする見方が広まったという。当然その評価も、肯定的な部分と否定的な部分とに分かれるわけだけれど、そうしたことを記している文献の数々は、基本的に古典やアラブ、キリスト教的文献などからの引用によって構成されているのだという。まさに老いをめぐるトポス(定型表現)が成立しているというわけだ。

キケロの『老いについて』はすでに中世に伝えられていたというが、そうした引用もととしてより一般的に使われていたのは、「フロリレギア(florilegia」と呼ばれるハンディな引用集、セビリヤのイシドルスの『語源論』ほかの辞典類、聖書の用語索引集などだったらしい。老いについて考える際の説明原理は、11世紀以降にアラブの文献を通じて伝えられたガレノスの四気質説に、また老化対策はアリストテレス的な中庸理論に見出されているという。主な具体的文献としては、ヴァンサン・ド・ボーヴェの『大鑑』、ハリー・アッバス『王の書』、ベルナール・ゴルドン『 健康の維持について』、キプリアヌス、教皇イノケンティウス3世『世界の瞑想について』、ダンテ『饗宴』、エギディウス・ロマヌス『第一原理について』などなど。ダンテが老年の気前の良さを称揚し、エギディウスがそのけちくささを示しているなど、論者によってトーンが違うのは、それぞれが引用する典拠が違っているせいなのだという。なるほど、こういうのはまとめるのは大変そうだけれど、とても面白そうではある。

↓wikipedia(jp)より、キケロの胸像(ローマ、カピトリーニ博物館)

井筒俊彦伝

夏休み読書の一環もかねて、若松英輔『井筒俊彦ーー叡智の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011)を読む。なんとも読み応え十分の一大評伝。というか、井筒氏が研究対象として取り上げた思想家や同時代的な人脈なども絡めて、その思想の足跡にとどまらず、時代的な空気のようなものまで活写しようという大胆なもの。下手をすると、まるで単なる連想つながりでしかないかのように別の思想家・同時代人などが召還されたりもし、そうした寄り道のようなパッセージがまた良い味を出していてまったく飽きさせない。その上で、全体を貫くしっかりとしたテーマも一本筋が通っている。枝葉に遊ぶ快楽と、幹を追う喜びとをまさに一本の大樹のように味わうことができる。

その一本の筋とは、井筒思想における神秘思想の位置づけだ。神秘家は現実界から絶対的境地へと向かう「向上道」だけではだめで、「むしろ絶対的境地から現実界に戻り、世界を「イデア化」する「向下道」にこそ、神秘家の使命の使命がある」(p.353)という。「叡知界を現実界的に開示する」(同)というその信念もしくは哲学こそが井筒にとっての神秘主義であり、別の箇所によればそれはまさに「宗教的脱構築の異名」(p.289)だったのだという。またさらに、こんな一節もあって興味はつきない。「超越論的世界である想像界で生起したことは、現象となって現実的世界に生起する。逆もときには起こり得る。そこに介入できるのは「祈り」である。私たち人間は、想像界の「現実」を垣間見るために、「超歴史的」次元を通過しなければならない。しかし、そこで私たちは、現実界的概念の解体を迫られるのである」(p.261)。「祈り」の現象学にとって、なんと示唆に満ちた一節であることか!(笑)

ビザンツにおける「友愛」

ちょっと思うところあって、久々に友愛論がらみの論考2本ほどに目を通す。一つはM.E.ミュレット「ビザンツ:友愛の社会?」(By M. E. Mullett, ‘Byzantium: A Friendly Society?’ in “Past and Present” Vol.118:1 (1998)。ビザンツ社会(とくに神学者や宮廷などのエリート層)の一般的なイメージというと、どこか禁欲的で堅苦しい社会を思い描きがちだけれど(西欧から見たら、ということかしら?)、実は友好的な関係を重んじた社会だったという話が展開する。堅苦しさの固定観念は、一つには文献的に友愛に言及するケースが乏しいからだということなのだけれど、著者によれば、ビザンツの知識階級は古代ギリシア的な友愛の伝統を忘れておらず、友愛についての哲学的議論や賞揚は標準的なトポスとなっていたという。たとえば、友人同士の間で盛んに交わされていた書簡のやりとりは、友愛の感情にあふれたものが一般的で、中には面識はない文通友達の関係も数多くあったという。彼らは「フィリオイ(友人たち)」という言葉は盛んに使っても、あまり「フィリア(友情)」という抽象名詞はあまり使わなかったのだそうで、哲学的議論にしても、友愛とは何かということではなく、どういう人が良き友かといった話に始終しているらしい。著者はまた、ビザンツはいわゆる「コネ社会」で、「手段としての友人関係」が幅を利かせていたとも指摘する。友情の関係にはいわゆるパトロネージの関係なども含まれているのだとか。プセロスには養子がたくさんいたというけれど、これなどは一種のパトロネージ関係だったのでは、と……。

そのプセロスについてのものがもう一つの論考。ストラティス・パパイオアヌ「友情と愛についてのマイケル・プセロスの論−−11世紀コンスタンティノープルにおけるエロス的言説」(Stratis Papaioannou, ‘Michael Psellos on friendship and love: erotic discourse in eleventh-century Constantinople’ in “Early Medieval Europe” Vol.19:1 (2011)。数少ない「フィリア」への言及は、とりわけプセロスにおいて顕著だということで、その手紙の実例を通じてプセロスの性愛論に踏み込もうとしている。プセロスのやや大胆とも言える「レトリック」は、一方で当時の社会的に許容可能な枠内で読まれることを想定したものでありつつ、もう一方では社会的な基準ぎりぎりに挑んでいるのだという。エロスに彩られた友愛関係みたいな部分は、筆者が言うとおり多分に異教的。けれどもそこには、中世においてトポス化・モデル化していたらしいナジアンソスのグレゴリオスとバシレイオスの友情関係なども重ねられているのだとか。うーむ、このあたりのレトリカルな伝統はやはりすごく気になるところだ。

↓wikipedia(en)より、皇帝に教えるプセロス(左)。12から13世紀のアトス山の冊子本より

存在の一義性……

邦語で読めるスコトゥス本がまた一冊登場。山内志朗『存在の一義性を求めて−−ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』(岩波書店、2011)。そのこと自体すでにして大歓迎ではある。かねてから西欧のスコトゥス本や論文が、スコトゥスのテキストそのものの手触り(ときにどこが自説だかわからなくなるほど錯綜したりもする)をいっさい顧みず、かなり鋭く議論を切りとって端的に示すことに、時には舌を巻いたりもするものの、時には大いに違和感を覚えたりもしていたのだけれど、同書はそれとは正反対のことをやろうとしているように見える。つまり、スコトゥスが提示した概念を、その思考の流れみたいなものを絡めてすくい上げようとしているような感触だ。それ自体は誠実な探求ではあるのだけれど、ただ時に今回は逆にちょっとやりすぎの感じもしなくもないかな……と。専門論文的なテーマが設定されているわけではなく、かといってスコトゥス思想の全体像を描く概説書でもなく、著者が何をどう切り出そうとしているのかが今一つはっきりしない局面も、一読しただけでは散見されるように思えるし(実はそのようにして取り上げられるスコトゥスの諸概念が、いずれも相互に有機的に繋がっていることは後からわかる仕掛けになっているのだけれど)、さしあたっての語りが向かう方向すらも一見曖昧だったりする。全体的に、スコトゥスのテキストそのものとはまた別の意味での「もやもやした感じ」を通底音のように残しつつ、関連事項を行きつ戻りつしながら話は少しずつ進んでいく。なにやらこう、じれったい感じ……(笑)。

でも知見としては興味深いものも多く、たとえば一般に言われるフランシスコ会とドミニコ会の対立といった図式に疑義をはさみ、スコトゥスが向ける批判がむしろガンのヘンリクスであってトマスなどではないことや、そのヘンリクスに対しても最初から対立していたわけではなく、ヘンリクスの教義を修正・補完しながら自説を作り上げていったとされること、さらに後の オッカムとの関係も、完全な断絶の相で見ることは誤りであるといったことなどは、連続の相でもって思想史を見るという同書全体を彩るトーンにもなっている。表題でもあり中心テーマでもある存在の一義性も、有限的な存在の人間が無限の存在の認識に至るための方途、神と人間の不均衡を架橋する方途としての面が強調されている。なんだか「安易に断絶を認めないこと、概念装置を文脈から切り離さないこと」と戒めているかのようでもある。「熊野古道を本で読んだり、テレビで見ても仕方がないように、哲学もまた自分で歩んでみること以外には、体験したとはいえません。哲学の理論の結論だけを知って、分かったつもりになるぐらいつまらないことはないのです」(p.126)という著者の、なるほどこれはスコトゥスをめぐる一つの歩き方・歩き様の実況のようなものなのかもしれない。