アトランティスの表象史(ティマイオス研 4)

Loeb版で『ティマイオス』に続き『クリティアス』を読んでいたのだが、いまさらながらだけれど、ここで詳述されるアトランティスの描写がなかなか面白い。基本的には一種の理想論なのだけれど、とくに10の部族が相互に相手を支援・抑制するシステムになっているというあたりの話がひときわ興味をひく。アトランティスの人々は後世の人間たちよりも神々に近い質をもっていたがゆえに、そうした体制がうまく機能した、みたいな追記付きだが……(笑)。これに関連して、ちょっとゆるめで、夏休みに読むのにぴったりかもしれない(?)論考を取り上げておこう。ティマイオスに関するかなり広範な論考を集めた『書一冊、宇宙全体−−プラトンのティマイオスの現在』(R.D. Mohr & B.M. Sattler (ed), One Book, the Whole Universe: Plato’s Timaeus Today, Pramenides Publishing, 2010)所収の、ジョン・ソロモン「ティンゼルタウンのティマイオス:映画の中のティマイオス」というもの。ティンゼルタウンはハリウッドの俗称。で、タイトル通り、19世紀末からの小説や映画がアトランティスをどう取り上げてきたかを通史的に振り返るという一編だ。

アトランティスをユートピアと捉える伝統はルネサンス頃から始まり、フランシス・ベーコンの『ニューアトランティス』、トーマス・モアの『ユートピア』、キルヒャーによるアトランティスの地図などを経て、産業革命後は技術的な進んだディストピア観に転じるようになる。19世紀には、ドネリーの小説『アトランティス:洪水以前の世界』とジュール・ヴェルヌ『海底二万里』を経て、アトランティスは「歴史的に位置づけられうる」場所へと変容し、その後の様々な創作の舞台となる道が開かれる(プロトタイプとなっているのはポンペイの事例だという)。その後トロイアの発掘によって、トロイア戦争が創作のイマジネーションを刺激しなくなり、一方で20世紀初頭になって小説メディアの大衆化が進み(パルプ・フィクションなど)、かくしてアトランティスはもてはやされる舞台設定となった。折しも映画も隆盛で、ピエール・ブノワの『アトランティード』などは、すぐに映画化されることになる(ジャック・フェデ監督作品、1921)。そしてパプスト『アトランティスの女』(1932)…… 。ここからはひたすら映画史の話になっていく。

それでも40年代ごろまでは、『海底の王国』(1930年代のシリーズもの)ぐらいしか作品はないのだというが、1949年にブノワの小説が映画化されるのをきっかけに(『アトランティスのセイレーン』(ネベンザル))、アトランティスものは50年代に本格化するという。『禁断の惑星』(1956)(アトランティス人が高度な科学技術で生き残っているという伝統的設定を定着させたという)やヴェルヌ原作の『地底探検』(1959)などなど。さらには『謎の大陸アトランティス』(1961)、『アトランティス征服/ヘラクレスの怪獣退治』(1961)、『豪勇ゴライアス』(1965)、などなど……まだまだ様々な作品が取り上げられている。日本映画からも、95年版のガメラがエントリーしている(!)。うんうん、そういえばアトランティスがらみの設定だったけなあ、95年版は。さらに1985年の『コクーン』を経て2001年のディズニーの『アトランティス/失われた帝国』まで。時間的・金銭的余裕がある人なら、夏休みに全作品の鑑賞に挑戦してみるのも一興かも(笑)。