飛び飛びに読んでいたのだけれど、安田寛『バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)』(新潮社、2016)を文庫版で読了。もとは2012年の音楽之友社刊。うん、これはなかなか楽しい読書体験だった。バイエルはピアノ教則本で有名なのに、本人についてはほとんど情報がない、というところから出発し、日本に入ってきた経緯を追い、初版本を追跡し、そして最後はバイエルその人について戸籍(に相当する洗礼簿)を探っていくというストーリー。そういうアウトラインだけ見れば評伝研究の王道といった感じでもあるのだけれど、著者はその経緯それ自体を記録として、ルポルタージュ風にまとめてみせている。単なる評伝にしていない点がとてもよい。資料と出会えるにはそれなりの探求努力と、幾たびかの挫折、そしてなにがしかの幸運に恵まれなくてはならない……少しでも人文系の研究をすれば、そういう状況というのは多かれ少なかれ体験するはずだけれど、その、時にはまどろっこしいをプロセスを、とても大事に、どこかサスペンスフルに描き出している。これを読んで「こういう探求をやりたいなあ」みたいに思う人も、潜在的には少なからずいるのではないかな、と。というわけで、これは「資料渉猟のススメ」もしくは「探求の心得帳」という感じで個人的には受け止めた一冊。ちなみに、バイエルの初版(とその家庭環境など)をもとに、末尾でとても興味深い仮説が披露されている。うーん、なかなか渋い……。