通詞の現象学 – 2

前回、中野柳圃が冠詞を「発声詞」と訳出した背景の一つに、荻生徂徠の「発語ノ辞」があったのではないかという話に触れた。これが妙に気になるところなのだが、今一つそれが具体的になっておらず釈然としない。さしあたり、外堀からという感じで、ネットで見つかる論文を眺めてみる。武内真弓『荻生徂徠の言語観 : 『訳文筌蹄』初編と「国会本」の比較から』(中国言語文化研究14、2014、佛教大学)によると、江戸中期に中国語で漢籍を読むという動きがブームになったのだそうで、当時の現代中国語学習を通じて、荻生徂徠が音声重視の言語観を育んだらしい。そのことを、徂徠の著作『訳文筌蹄』を通じて浮き彫りにする、というのがその論考。そこでもやはり、外国語という異質なものを取り込むことで、字義解釈の姿勢に変化が生じている(同論考によれば、「俗語」の重視など)が読み取られている。文献学的な論考ではあるものの、このあたりはとても興味深い。

同じく藍弘岳『徳川前期における明代古文辞派の受容と荻生徂徠の「古文辞学」 : 李・王関係著作の将来と荻生徂徠の詩文論の展開』(日本漢文学研究3、2008)にも、徂徠が『訳文筌蹄』初編で、和訓での漢文の読みと、宋文だけの学習を批判し、「理」のみに拘らず「修辞」をも重んじるべきとして、古文辞を研究することを説いていることが示されている。さらにまたその詩論において、格調というときの「調」について、徂徠が「声」のみならず「色」をも含みもつ概念として扱っていることを指摘してもいる。声律としての調というよりも、辞と気格こそが着目されるのだという。古文辞への回帰指向が、そうした音声的なものとそれに付随する概念・価値観への着目に裏打ちされているというのは、とても重要であると思われる。そうした裏打ちの関係性には、どこか普遍的な相すら感じ取れるような気がするからだが……。

さて、杉本つとむ『蘭学と日本語』からも、三つめの論考「中野柳圃『蘭学生前父』の考察」を読んでみた。再び品詞論が取り上げられているが、柳圃が動詞から名詞への転成語形を称して「動詞ノ死」と、また形容詞から名詞への転成を「静ノ死」と、「死」「死用」の概念で名詞化を表現しているという話が出ていてこれまた興味をそそる。なにかこの、固定化のようなことを称して死と称しているのだろうか。また、日本語の他動詞の構造が蘭語と違うために、「誰々が言った語」のほかに「誰々が言った人」(誰=人ということ)のどちらも可能だという指摘があるのだそうで、これを著者は「彼我対照しての比較文法の芽ばえ」ととらえている。この構造上の差異の認識がどのような影響を及ぼすのかについても、追々考えてみたい。

プロクロスの『クラテュロス註解』

Commento al «Cratilo» di Platone. Testo greco a fronte夏前に『クラテュロス』を読んだが(こちらこちらを参照)、それとの関連でプロクロスによる『クラテュロス註解』も見始めた。イタリアはボンピアーニ社から出ている希伊対訳版(Commento al «Cratilo» di Platone. Testo greco a fronte, a cura di MIchele Abbate, Bompiani, 2017)。まだざっと全体の三分の一に眼を通しただけだけれど、いつものプロクロス節(新プラトン主義的・発出論的な物言いが、様々に変奏されて繰り返される)がここでも堪能できる。『クラテュロス』は言葉が社会的な約束によるものなのか、それとも事物の本質を普遍的に表すものなのかという問題をめぐる対話篇。前半三分の二を占めるヘルモゲネスとの対話では、社会的な約束によるとするヘルモゲネスの説をソクラテスが粉砕する。後半になると一転して、本質主義的な物言いをするクラテュロスを批判する。両成敗的な展開を見せるテキストだけに、プロクロスがどのようにアプローチしていくのかが注目される。

……というか、根底には発出論の図式がある以上、そこから逸脱することはないだろうと、ある程度その予想はつく。実際、たとえば言葉による事物の定義についてのコメント一つとってみても、その産出者は「知性」(ヌース)であり、各々の固有性を構成するかたちで各々の事物が分割される、などと言われる。分割と構成はアリストテレス的なディアレクティケーの操作でもあり、かくして新プラトン主義とアリストテレス主義との折衷的なコメントも散りばめられていく。しかしながら、やはりというべきか、「事物の後に生じるディアレクティケー(プラトン的な)が崇高であるように、認識の実践後にこそ名前もまた正真なものとなる」などとも記されている。そしてまたミメーシスの原理により、名前は形相を、したがって数を模倣する。そこから導かれるスタンスは、クラテュロス的な本質主義に親和的なものとなることがわかる。実際、ヘルモゲネスに反論するソクラテスの文言と同様に、プロクロスも本質論的な立場を擁護し、慣習説・規約説に反論してみせている。さらにはプラトンのほかの対話篇からの引用をも援用していたりもする。こうしてプロクロスは、知性と名前の関係性を、原理と結果、モデルと像という関係性として改めて強調してみせる。もとの対話篇に即して、話はその後、立法者としての名づけ親、すなわちデミウルゴスのほうへと向かっていく……。

こうなると、逆に対話篇の後半(というか最後の三分の一程度)に展開するクラテュロス批判、つまり、本質論への批判をどう扱っていくのかがとても気になってくる。けれども先取りして言うならば、残念ながらどうやらプロクロスのこの註解は、ヘルモゲネスとの対話の途中(407a8-c2)で唐突に中断されてしまっている(orz)。意図的なものなのかどうか不明だが、ちょっと拍子抜けではある。けれども、架空的にありうべきクラテュロス批判の手がかりのようなものを見いだせないかと問うてみるのも悪くはないかもしれない……そう思い直し、そのあたりを含めて少しメモを取りながら読み進めることにしよう。なにか興味深いポイントがあれば、追って記そう。

通詞の現象学 – 1

蘭学と日本語杉本つとむ『蘭学と日本語から、二つめの論文「現代文法用語の翻訳と考察」を見てみた。これまた中野柳圃が著した『九品詞名目』という語学研究書(オランダ語の品詞を分類・解説したもので、成立は18世紀末とされる)を取り上げ、その内容を文献学的な手法で考察している。品詞は9つに分類されていて、今とは呼び方が異なるものも多い。というか、当初の品詞名の翻訳は相当に難しいものだったろうと推測される。今でいう名詞は静詞、形容詞は虚詞、分詞は動静詞、副詞は形動詞、接続詞は助詞、前置詞は慢詞などとなっている。とりわけ興味深いのは、今でいう「冠詞」で、これは「発声詞」と訳されているのだそうだ。

論考ではこの発声詞について、それが柳圃の意訳であると指摘し、機能などをもとに、日本語の性格として言われてきた「発語」、荻生徂徠の「発語ノ辞」などに関連づけて訳出したのだろうと記している。「冠詞」の訳語が登場するのは、『蘭学梯航』(1816)、『和蘭文範摘要』『魯語文法規範』(1813)、そして論文著者が見いだしたところでは、宇田川槐園『蘭訳弁髦』(1793)が最も早いという。とはいえ、素人考えながら、この「発声詞」という名称はもっと複雑な感触を伝えている気がする。そもそも「発声」という語から、音声を念頭においたアプローチ、認識論的解釈を見て取ることも可能なのではないか……などと。

そんなわけで、手がかりを求めて、ネットで公開されている櫻井美智子『英文法事始』(東京女子大學附屬比較文化研究所紀要 47, 105-120, 1986)(PDFはこちらという論考を見てみた。それによると、本邦初のオランダ語文法書とされる、同じく中野柳圃の『和蘭詞品考』も、やはり品詞分類と用法を考察しているという。もっぱらイギリスの事例ではあるけれども、同論考によれば、18世紀には、16世紀から続くラテン語ベースの文法と、独自の文法体系を打ち立てようとする流れとの二つが存在していたらしい。八品詞(冠詞を除いた)の分類というのは、ラテン語文法での分類法がそのまま踏襲されたものだという。実は冠詞に関しては、もとのギリシア語文法の伝統では、八品詞に含まれていたのだそうだ(一方で形容詞が独立した品詞扱いされていなかった)。しかしながらラテン語には冠詞がなかったことから、ギリシア語文法で副詞に含まれていた間投詞が、代わりに加えられて新八品詞となった。こうして八品詞は、紀元前一世紀のギリシアの文法家ディオニュシオス・トラクス(あるいはそれ以前)からあり、ラテン語では6世紀ごろのプリスキアヌスを経て整備され、やがてそれが各国語の文法にも受け継がれていくこととなる。冠詞を加えて九品詞とするというのはその後の流れだ。こうしたことを踏まえるなら、柳圃の「発声詞」という訳語が、なにかその間投詞(感情や応答などを表す)の流用の経緯、残響を感じさせるようなものになっている、と述べることはできないだろうか。訳出にあたって柳圃は、おそらく相当にいろいろ調べたに違いないが、いずれにしてもアルカイックな経緯が、訳語という形で部分的にせよ蘇る(言い過ぎならば、原義の一端が露呈する、とか)というような事態を、ここに目の当たりにすることができないだろうか……。もちろんこれは、今のところ個人的な想像(妄想?)にすぎないのだけれども。