激しい生

トリスタン・ガルシアの野心作


 すでに邦訳も出ているようですが、トリスタン・ガルシアの『激しい生』(Tristan Garcia, “La vie intense – une obsession moderne”, Autrement, 2016)を読んでみました。

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 なかなか面白い論考です。「電気」が登場してからというもの、潜勢態・現勢態とか合理性とかいった概念に代わり、西欧社会を貫く概念として「強度」が台頭したというのがガルシアの着眼点です。強度はインフレ化し、社会全体がそれに巻き込まれていくようになる、と。ある種の競争、アピール、早い者勝ちの理論が席巻し、たとえば思想史なら、存在論がプロセス論に置き換わったり、分類という知が危うくなったり、あるいは科学なら、数値が幅を利かせるようになったり、芸術なら強烈な個性とか、独特な感性とかが重視されたり、というわけです。

 でもいつしか人は「強度」ばかりを追い求めることに疲弊していきます。その結果、たとえば燃え尽き症候群が生じたりとか。あるいは反動的に、より恒常的・ルーチン的な平板なものを志向し、「思惟」や「賢慮」あるいは「信仰」などを求めるようになったりする……。ある種の保守化もそうですね。それと相まって、機械的な知の形象としての「電子」化も進んでいく、と。

 この先はもはや、強度への志向と反動的な知や信仰との狭間・隘路での板挟み、行ったり来たりを続けていくしかないだろうと、ガルシアは見ているようです。全体として、すこし大まかすぎる見取り図のような気もしないわけではありませんが、楽観もしないが悲観もしないという、ある意味両義的で折衷論的なところに落ち着く感じが、どこかヘレニズム期のストア派的な思惟を想わせたりもします。それが単なる退廃ではなく、新しい知への準備期間となればよいのですけれどね。(ついでながら、個人的には、道徳(モラル)を形容詞的、倫理(エシックス)を副詞的だと述べている箇所など、随所に面白い言及がありました)。

 ちなみに邦訳は栗脇永翔訳、人文書院刊(2021)です。→https://amzn.to/35lv1Ku