「存在・カテゴリー・アナロギア」カテゴリーアーカイブ

大陸側(パリ)の不可分論者たち

引き続き論集『中世後期の哲学・神学における原子論』からメモ。不可分論は基本的にイングランド系の論者たちがメインという感じではあるけれども、一方で大陸側(というかフランス)でもそういう論を展開する人々はいた。というわけで、その代表的人物としてまず取り上げられているのがオドのジェラール(ゲラルドゥス・オドニス)(1285頃〜1349)。パリのフランシスコ会の学問所で『命題集』の講義を行っていた人物で、14世紀パリでの最初の原子論者とされている。ここでの論考(サンダー・デ・ボアー「オドのジェラールの哲学における原子論の重要性」)はその不可分論(原子論)の骨子を紹介しているのだけれど、それによると、オドの場合には、連続体を分割していって行き着く先に不可分の原子があるという議論(数学的)から出発しているのではなく、「全体よりも先にまずは部分が存在する」という基本スタンスがまずあって、現実に存在する実体を、不可分なものが相互に結びついて構成するという議論が中心になるという。そのため分割の議論にまつわる様々な難点(神の全能性との絡みなど)がまったく問題にならないのだ、と。

続いてクリストフ・グルヤールが取り上げるのはオートルクールのニコラ(「オートルクールのニコラの原子論的自然学」)。オートルクールのニコラ(1300頃〜1369)もなかなか数奇な運命を辿った人物。1347年には急進的なオッカム主義で異端と断じられ、その後はメスの大聖堂の参事会員となり、やがて参事会長になった。思想としては独特なものがあったようで、同論考によると、不可分なものに関する議論については数学的議論というより、自然学的な説明体系を志向しているらしい。上のオドとの絡みもあるし、このあたりが大陸的特徴なのかどうか……。ま、それはともかく、ニコラにおいては「ミニマ・ナトゥラリア」が「第一質料」の概念を不要にし、質料形相論が粒子論的な別の体系に置き換えられるのだという。そちらのほうがいっそう節約的な説明体系だというわけだ。で、同論考では、ニコラの原子論はデモクリトスの原子論が大元にあるらしいとされ、それにマイモニデス経由で伝わるムタカリムンの影響を受けて独自のものになっているとされる。原子はそれぞれ質的な属性をもち、ゆえに結合する力能を有しているとされるのだけれど、それを実際に結合させ実体を構成する(発生の原理)のは星辰の働き(!)なのだという。またそうした説明の文脈で真空の存在も認めている。デカルトにはるかに先んじての非アリストテレス的体系という意味でもまた面白そうな論者だ。

論集ではさらに、ビュリダンと論争したというモンテカレリオのミシェルなる人物も取り上げられている(ジャン・セレレット「1335年ごろのパリでの不可分論的議論」)。でもこれはさらにエキセントリックなもののように思えるので、とりあえず割愛しよう(苦笑)。

一四世紀のアンチ不可分論

ジャック・ズプコ「唯名論、不可分論と出会う」(Jack Zupko, Nominalism Meets Indivisibilism, Medieval Philosophy and Theology, vol. 3, 1993)という論考を読む。これは結構重要な論考のようだ。ここでいう不可分論(indivisibilism)とは、要するに数学的な点などのような不可分なものの実在を認める立場をいう。命題の真偽条件の議論に関連して、一四世紀には、点や線、表面といった数学的用語を用いた命題の場合に、そうした用語が指すものを実在とするか概念とするかで論者たちの見解が分かれていた。不可分論はそうした流れの一つで、代表的な人物としてハークレイのヘンリー(1270-1317)がいた。もちろん当時はすでに唯名論が一般化していて、そのため不可分論のマイノリティではあった。この論考は、ヘンリーも議論している「平面と球は一点で交わるか」という当時盛んに取り上げられた問題(逸名著者の自然学注解が嚆矢だというが、それはリチャード・ルフスが著したのではなかいという話もあるようだ)を取り上げ、不可分論を批判する側のオッカム、ヴォデハム、ビュリダンがどう対応したのかを検証するというもの。

ヘンリーやその後のウォルター・チャットンなどは、球が平面に接する際には「何か」において接しなければならないが、それは分割できるものであってはまずいと議論した(分割できるとしたなら、接触は一点だけにとどまらず、圧迫が加わったり相互にめり込んだりすることが導かれてしまう)。けれどもそうして掲げられた不可分の点という考え方は、アリストテレスの諸原理に反してしまう。アリストテレスは連続した大きさは無限に分割できなくてはならないと考えていたし、点同士が接触することはありえない(二つの点が同じ空間を占めることはできない)と考えていた。不可分論者側は様々なモチーフからアリストテレスの接触の議論を否定していた。論文著者によると一四世紀のアンチ不可分論には、(1)分割論:連続体は原子から成るのではなく分割可能な部分から成る、(2)非実体論:不可分なものは物理世界に存在しない、(3)無限論:連続体を構成する部分は無限に分割可能だ、といった議論がセットになっていたという。

で、論考の主役となる三者は、まさに三様の回答を示していて興味深い。オッカムは、そもそも完全な球と完全な平面があった場合には、両者は厳密な意味で「直接に」接することはできないと応える。両者が接する場合には(つまり間接的に)必ずなんらかの実体の外延が必要だというわけだ。ヴォデハムも、球と平面が接しうるのならば、それは無限に分割可能な何かにおいて接するのでなければならないとする。けれども同時に、分割可能なもの同士が直接的に接することができるようにアリストテレスの接触概念を修正しようとする。接するもの同士は外延として互いに隣接し連続しつつも、相手の境界は境界としてそのままに保つとし、かくして分割可能なものが、あたかも不可分のものであるかのようにして接触するのだと解釈する。うーむ、なかなか微妙だ。それでもここまではそれほどわかりにくい話ではない。問題なのはビュリダンだ。

ビュリダンはまた別の角度、今度は論理学的意味論からのアプローチをかける。これがなんだか妙にわかりにくいのだけれど、「球が平面と接する」という場合、両者は自立的意味(categorematic)でのなんらかの「全体」同士として接触しているのであり、その「全体」は本来的はに分割可能でなければならないのだが、とはいえ侵入しあうわけではないので、共義的な意味(syncategorematic)での全体(混じり合った感じの?)として接しているわけではない……。んん?つまりは両者それぞれの接触部分が、あくまで両者それぞれの部分をなしている(相互に相手を侵犯しない)限りにおいて、その命題(「球が平面と接する」)は真となる、ということなのかしら?でもそれだと、ヴォデハムが言っていることと中身はほとんど変わらないような気も……(苦笑)。おそらく重要なのは、分割可能なもの同士の隣接では、その「接する」部分同士が際限なくより微小なものに分割でき(これを同論文では、proportional division ad infinitum、無限までの応分の分割と表現している)、決して混じり合わないということなのだろう。不可分の点で接するということは、接する両者がその点を共有することになり、いわば「混じり合」ってしまうことになる。これは認められない、というわけだ。けれどもビュリダンは、あえて「点」で接すると言ってよいのだと考えている(!)という。ただしその場合の点は、不可分なものではなく、分割可能なもの(接する同士のいずれか)に属する限りでの点だとされている(とまあ、この論文著者の議論からは読める)。ここにおいてビュリダンは、ヴォデハムを挟んだ形でオッカムとのある種鮮やかなコントラスト(方法的にも、議論としても)を見せている。うーん、こうした理解でいいのかちょっと心許ないが、ビュリダンについてはいずれあらためて検討したい。

エヒイェロギアにまつわる謎?

先週土曜(7日)、立教と上智でそれぞれ行われたシンポジウムをそれぞれ少しばかり覗いてみた。前者のほうについても後で感想などをまとめておきたいと思うけれど、とりあえずまずは後者について。聴講したのは「ハヤトロギアとエヒイェロギア」と題されたシンポジウム。ハヤトロギアといえば、宮本久雄『存在の季節―ハヤトロギア(ヘブライ的存在論)の誕生
(知泉書館、2002)
を読んだのはもう随分前。その後の著作を追っているわけではないのだけれど(不勉強だが)、存在から「脱在」へというその思索を深化させているという話はどこからともなく聞き及んでいた。その脱在論というのが、今回のシンポジウムのタイトルにもある「エヒイェロギア」。もとになっているのは、シナイ山でモーセに告げられた神の名前「エヒイェ・アシェル・エヒイェ(わたしはあらんとしてある者なり)」で、西欧的なきわめてリジッドな存在論を、ヘブライ的な、より動的かつ不断に自己超出するものへと脱構築する、というのがその大元の趣旨。具体的にはアリストテレスの存在神学的解釈(ハイデガー)あたりと、モーセの神託の話あたりが対比される構図になっている(そればかりではないけれど)。絶対的な存在が実定的に屹立するのではなく、そこに他者の占める場所を明け渡すよう、流動的に転位・脱自していくというイメージ(かな?)。でも、そうなると、なぜ西欧的な思想の伝統は、ヘブライ的な動的な存在論(脱在論)を受け継がなかったのか、なぜリジッドな存在論を構築し磨きをかけていくのかという大きな疑問が残る(ハヤトロギアの文脈では、技術的文明の根源悪もそうした思想的伝統に根ざしているとして批判の対象になる)。ヘブライ語のヴァヴ倒置法(時制変換)みたいなものが、たとえばラテン語などにはないから?うーん、そのあたりの話が何か聴けないものだろうかと期待してのシンポジウムだったのだけれど、直接そうした問題には触れられてはいなかった(全体討論の前に退出してしまったので、そこでどんな話が出たのかはわからないけれど)。

とはいえ、少しばかりヒントというか、示唆的な話がないわけでもなかった。山本巍氏の提題(時間が足りないのが残念だったが)では、アリストテレス思想には本来、個というものが実体として重んじられ、自己よりも他者が優先されるという機構があり、その意味でそれはハヤトロギア的で、かつまたそこでは微小な部分において全体が見出される……というような趣旨のことが語られていたように思う。パルメニデスのようなゼロサム的な存在論ではない、可能態を重視した立場にこそ、アリストテレス思想の核心部分があるのだ、みたいな。これはちょっとあらためて検証してみたいところだけれど、仮にそうだとすると、ハヤトロギア的なアリストテレスを後代の人々がねじ伏せていった結果が西欧的存在論とそのなれの果て、ということになるのかしら。問題はアリストテレスの解釈にあったということに?おお、アリストテレス周りが俄然面白くなってくるではないの(笑)。

forma fluensとfluxus formae

またまた溜まった未読PDFの山(推定上の)を、連休期間中に少しばかり片付けようと考えているところ。でもなかなか進まない(苦笑)。とりあえず、ジョン・マクギニス「中世アラビアの、瞬間の運動についての分析:流れる形相/形相の流れ論争へのアヴィセンナの出典」(Jon McGinnis, A medieval Arabic analysis of motion at an instant: the Avicennan sources to the forma fluens/fluxus formae debate, British Journal for the History of Science 39(2), 2006, pp.1-17)という論考に目を通す。中世盛期の自然学の一大問題だったという「運動」概念。アリストテレスの考えたどの範疇に運動が分類されるのかというのがその難問だったというが、ラテン世界ではとくに運動と形相の関係が問題になり、運動はforma fluens(流れる形相)かfluxus formae(形相の流れ)かという議論になったのだという。これらはアルベルトゥス・マグヌスが運動概念を整理する中でまとめているという。運動を目的因から見る場合、それは「完全なもの」になる途中の段階と見なすことができるというわけなのだけれど、その際に最終的状態を運動概念に含めるか、それともあくまで運動は途上の手段にすぎないかで見解が分かれる。前者の立場を取ると、最終的状態はいずれかの範疇に属するので運動はその最終状態の範疇に分類される。また、運動はその過程と到達点を両方含み、両義的な概念となる。これがforma fluensの立場で、アルベルトゥスはこれをアヴェロエスに帰している。後者の立場を取ると、運動は過程でしかないのでどの範疇にも属さないものになってしまう。運動概念は一義的になる。これがfluxus formaeの立場で、アルベルトゥスはこれをアヴィセンナに帰している。

アルベルトゥスは、アリストテレスの10の範疇以外の範疇を想定するようなことがあってはならないとして後者に反対する。また、時間と運動をめぐるより深い哲学的議論がその批判の底流をなしてもいるらしい(表題の「瞬間」における運動をめぐるアポリア)。けれども、と同論考は言う。実はここにアルベルトゥスの誤謬があって、実はアヴィセンナは、運動は一義的な概念だが、それはどの範疇にも属さないのではなく、あらゆる範疇に関係するものなのだと論じているのではないか、アヴィセンナは運動の形相がほかの付帯的・一般的形相と同様に実体に帰属していると考えているのではないか、と。ちょっと端折ってしまうけれど、アヴィセンナは「完成(エンテレケイア)」を二種類に分け、潜在態から最終的な完成形までの中間状態を「第一のエンテレケイア」、最終的な完成状態を「第二のエンテレケイア」とすることによって、各瞬間での運動概念を救いだし、さらには時間の各中間点を極限点として考えることで、瞬間における運動の存在をも肯定することに成功しているのだという。

↓Wikipediaより、アルベルトゥス・マグヌスの肖像。トマソ・ダ・モデナによるフレスコ画(1352年ごろ)、トレヴィーゾのサン・ニッコロ修道院

アベラール再び

『ケンブリッジ必携』シリーズはいろいろな思想家のものが出ていて、アベラールの巻(“Cambridge Companion to Abelard”, ed. Jeffery Brower et al, Cambridge University Press, 2004)ももちろんあるわけだけれど、これに収録されているピーター・キングの「アベラールの形而上学」(Peter King, ‘THE METAPHYSICS OF PETER ABELARD’, pp.65-125)がPDF(→こちら)で公開されているのを最近知る。さっそく落として、今前半くらいまでをざっと見ているところ。アベラールは従来、どちらかというと普遍論争がらみや論理学方面から取り上げられることが多いという印象なので、その「形而上学」の概要をまとめるというのは結構珍しいのではないかという気がする。で、この論考でもまずその唯名論者(反実在論者)的な面から入っていく。アベラールが実在論を斥ける議論を展開しているのは、有名な例の「Logica Ingredientibus」だけれど、この論文の著者は少し細かく紹介している。アベラールがボエティウスの示す「普遍」の基準に合致しないとして斥けるのは実在論は、物質的本質を認めるタイプの実在論(一般的な実在論)と、集合的実在論(部分が集まったものを普遍とするという実在論)、中立理論(シャンポーのギヨーム:個物のみが存在するとしつつ、その個物の中立的同一性を普遍とする実在論)などがあったとされている。で、その上でアベラールが考えていた個物についてのまとめがあり、その基本的な質料形相論が、アベラールの唱える二段階創造説の文脈(無からの元素の創造と、その後の形相の創造)から紹介される。形相と質料の密接な相互関係などが強調されているといい、一方で人間の魂は形相そのものではなく形相に類するもの、といった議論を展開しているとされ、なにやらそのあたり、後世のアウグスティヌス主義を彷彿とさせたりもする。このあたりの話は、ポルピュリオスのエイサゴーゲーへの注解(Logica Ingredientibusの1巻目)からのものなのだとか。

その後、今度は全体と部分、本性、可能態といった諸概念についてのアベラールの立ち位置が検証されていく。たとえば最初の全体と部分についてでは、アベラールは共通の本質が分有されるという普遍的全体という考えを斥け、むしろ部分の集合が認識論的に統合されるという統合的全体の理論(これもまた唯名論的だ)を唱えるのだとか。ただし近代的なメレオロジーとはいかず、たとえば類から種への分割という場合、ほかよりも優先的とされる種への分割が前提となっているという。いずれにしても、このようにアベラールの形而上学は全体として、その唯名論(反実在論)的なスタンスによって支えられていることが繰り返し強調されている。ふーむ、でもこのLogica Ingredientibusはやはりかなり特異なものという印象を受ける。というのも、このテキスト以外でのアベラールの議論は、どちかというと実在論と唯名論の折衷案というか、なにがしか中庸的な議論をなしていたように思えるから。Logica ingredientibusは長大なテキストだけれど、やはりそのうち目を通す必要があるかもなあ、と少し身震いする(笑)。