「キリスト教の神は無限の愛であるとされるのに、一方では地獄において劫罰を科す。これって矛盾じゃないの?」。こういう疑問、キリスト教に触れれば誰でも一度くらいは思うんじゃないだろうか。あるいは、人間の罪に対して罰があまりに重すぎることにならないか、とか。でも、するとそこで、神の無限の思惟は人間には到底推測できないのだとの原則でもって、なにやら煙に巻かれてしまったりもする。それでは神秘主義というか、ある種の思考停止状態でしかないように思えるのだけれど、そのあたりに甘んじず、矛盾なら矛盾としてちゃんと検証しようという論考があってもいい。というか、あった(笑)。ケリー・ジェイムズ・クラーク「神は偉大、神は善:中世の神的な善の概念と、地獄の問題」(Kelly James Clark, God is Great, God is Good: Medieval Conceptions of Divine Goodness and the Problem of Hell, Religious Studies 37, 2001)(PDFはこちら)。いちおう中世の議論が取り上げられているのだけれど、具体的にはアウグスティヌスとトマス・アクィナスのみ。このあたりがちょっと寂しいところではある。でも面白いのは、この両者の議論(とくにトマス)をもとに、神の善性について、偉大さ(被造物を創造した点において)としての善と、ペアレンタル(被造物を庇護するという点において)な善という二系列があるとした上で、それらの善と地獄の罰との両立可能性があるかどうかを改めて検証しているところ。
またまたダニエル・アラスの著作から、『ギロチンと恐怖の想像領域』(Daniel Arasse, La guillotine et l’imaginaire de la Terreur, Flammarion, 1987-2010)を読んでいるところ。まだほぼ前半。タイトルの通り、これはギロチンにまつわる表象史の試み。罪人の処刑方法(斬首や八つ裂きなど)が残忍だとされた18世紀に、もっとスピーディに苦痛もなく処刑ができる方法として考案されたのがギロチンで、提唱者のギヨタンはその「人道的」な面を強調していた。装置の原型はもっと古いようで、15世紀から16世紀のイタリアにはその古形があったというし、12〜13世紀のナポリほかに同じような装置があったとも言われる。けれどもやはり面白いのは、当初唱えられた人道性に反して、ギロチンが恐怖の対象となっていったその有様だ。処刑のあまりの迅速さや、斬首後に首がまだ動いているという光景、さらにそこから類推される、受刑者が進行中のみずからの死を認識できているのではないか、身体というのはやはり機械論的なものにすぎないのではないか、といった発想が、その装置のイメージを一挙に貶めていく。一方では、医学的な身体での機械論が政治的身体へと接合されて、頭部としての王の不要論へと繋がっていき、やがては王の斬首を準備することにもなる……。
で、それに関連してというか、ちょっと古いけれど、これまた興味深い論文を見てみた。デヴィッド・キング「中世イスラム文献によるアストロラーベの起源」(David A. King, The Origin of the Astrolabe According to the Medieval Islamic Sources, Journal of the History of Arabic Science, Vol. 5, 1981)。古代からの天文観測機器であるアストロラーベは、発明者などは未詳とされているわけだけれど、アラブ世界の文献からその語源や発明についての言及を集めたもの。わずか数ページの序文でさえ、すでにいろいろと面白い指摘がなされている。アラブ世界ではastrulabと言い、初期のアラビア語文献では、これが「星を取る」という意味だと説明されているという(星を表すギリシア語のἄστρονに「取る」を意味するλαμβάνεινの過去形の語根がついたものというギリシアでの解釈に対応するものだ)が、ほかにも「太陽の均衡」とか、「太陽の鏡」などを意味するといった説もあったという。発明者についても、イドリス(預言者エノク)の息子ラーブであるという話があるものの、これは完全なフィクションで、少し下ったほぼ同時代の別の論者による批判もあるのだとか。astrulabを「ラーブの線描」の意味だとする民間語源もあるといい、また、ラーブをヘルメスの子とする話もあるそうで、このあたり、説話論的にもとても興味をそそる現象だ。さらにはプトレマイオスがアストロラーベの考案者だという話もあって(これもフィクション)、面白い逸話になっている。天球儀をもって動物の背中に乗っていたプトレマイオスが、その天球儀を落としたところ、動物がそれを踏みつぶし、できたのがアストロラーベだった、と(笑)。ほかにもヒッパルコスが考案者だという話もあり(タービット・イブン・クーラによる)、実際ヒッパルコスの時代には立体射影がすでに知られていたともいうのだが、この話を紹介する文献には上のラーブの話も載っていたりするそうで(つまりはギリシアがその文献の出典元ではないということになる……)、このあたりの錯綜感もまた、なにやら説話的に気をそそる。