リュートtube – 9 「ヴェネティア風パヴァーナ」

ダルツァの小品ながらなかなかご機嫌な一曲。1508年の曲集からのものなんすね。奏者の詳細は不明だけれど、なかなか見事でないの。それにこの6コースリュートはとても弾きやすそう(笑)。

ギヨームとスコット

このところあまり時間が取れなくてちょっと進んでいないけれど、引き続き『魔術的中世』の2章、3章に目を通す。それぞれ、オーベルニュのギヨームとマイケル・スコットを扱った章。ギヨームはアウグスティヌス主義の嚆矢みたいに言われることもある人物だけれど、いわゆる黒魔術ではない「自然」魔術の理論の発展にも貢献したのだという。自然魔術って、要はアリストテレスに準拠した医術・占星術的なものを言うらしい。アーバノのピエトロの先駆みたいな感じ。アウグスティヌス主義的との関連では、「悪魔=堕天使」の考え方の根拠が、基本的にアウグスティヌスの反マニ教的に書かれた『善について』などの、被造物はすべて本来善として創られた後に悪へと逸脱するという議論にあるという話などが興味深いところ。

一方のマイケル・スコットは、シチリアのフリードリヒ2世の宮廷で翻訳に従事したことで知られている人物。他方では占星術師としても活躍したとされる。まずは13世紀以降にvetula medica(古医術)が悪しき術へと価値の低下を被る社会的文脈と絡めてスコットの登場を描いている。アヴェロエスやアリストテレスの翻訳が多数あるとされているけれど、アルベルトゥス・マグヌスが、マイケル・スコットは自然も理解していないし、アリストテレスの著作も分かっていない、みたいに批判しているという話が興味深い(笑)。スコットの関心領域はむしろプラトン主義だったらしく、フリードリヒ2世の用意した諸説混淆の環境(アラブ世界やユダヤ教も含めて)を反映するものであったらしい。スコットはその中で、観想的ではない作用的(operativa)な哲学を理想としていたらしく、それがアラビア的な「魔術」だったというわけか。スコットの考える魔術は、作用すなわち事物の変形・変質を指向する点で『ピカトリクス』との共通性もあるそうだが、流出ではなく神の創造を重んじる点、また黒魔術を知の総合的な術としてではなく限定的に扱っている点などが異なっているという。

「天使」は「隅石」?

ブログ「ヘルモゲネスを探して」さんのところから、今月23日のエントリに衝撃的な一言が:「天使とは角度のことであったのか?」。うーん、angelusとangulus、確かにラテン語において両者が形の上で混同されそうな感じはする。でもギリシア語まで行くとまた違う……と思いつつ、ふと思い出した。夏前ごろからずっと読んでいるピロポノスの『世界の始まりについて』6巻11章に(この箇所は、世界の支配者は人間ではなく天使だというテオドロスの説への反論を述べているところ)、天使は地上のすべてを統べるのではないが、個別の(みずからの)秩序を統べる、みたいなことが記されていた。この一文、何気なく読んでごく普通にディオニュシオス・アレオパギテスの天使の序列論を思い浮かべていたのだけれど、これを「天使こそが秩序の要(土台)だ」というふうにとると(ちょっと強引か?)、にわかにこれが「角」に結びついていきそうにも思える(笑)。なにせ隅石(土台)のことを、たとえば仏語でpierre angulaire、伊語でpietra angolareなんていうし。ちょっと妄想気分ついでに、この「隅石」、民間語源的にでいいので、遡れないか検証してみたい気もする。さしあたりウィトルウィウスあたりに何かそれっぽい言葉がないかしら、なんて。

『月刊言語』も休刊

遅ればせながら知ったのだけれど、大修館書店の『月刊言語』も12月号で休刊だそうな。面白そうな特集が組まれているときだけ買っていた雑誌だったけれど、なくなってしまうとちょっと寂しい気も。80年代くらいから、基本的には高校生くらいから大学院受験生くらいまでを対象とする雑誌だったように思う(それ以前はもっと専門的だったらしいが)。結構古いバックナンバーも以前は手元にあったのだけれど、内容的にもだいぶ古びたものなどが多くて(ソシュールものとか)処分してしまい、あまり残っていない。残っている比較的最近の号では、たとえば「ラテン語の世界」を特集した2002年9月号などがそれなりに印象的。ラテン語のすすめという感じの特集にしては、古典ラテン語に傾斜せず、キリスト教やスコラ学のラテン語についての概括(月村辰雄)や、ダンテの詩作についての紹介(浦一章)、さらには美食のラテン語と題してローマ時代のメニュー用語の紹介(塚田孝雄)などがあってとても楽しい特集になっている。こういう特集は同誌ならではだった。ほかの雑誌ではこうはいかないだろうなあ、と。そういう意味ではとても残念。

「カルデア教義の概要」- 3

/ Καὶ ὑλικὰς δὲ πηγάς φασιν, κέντρων καὶ στοιχείων καὶ ὀνείρων ζώνην, καὶ πηγαίαν ψυχήν. Μετὰ δὲ τὰς πηγὰς λέγουσιν εἶναι ἀρχάς. Αἱ γὰρ πηγαὶ ἀρχικώτεραι τῶν ἀρχῶν· τῶν δὲ ζωογόνων ἀρχῶν ἡ μὲν ἀκρότης Ἑκάτη καλεῖται· ἡ δὲ μεσότης, ψυχὴ ἀρχική· ἡ δὲ περάτωσις, ἀρετὴ ἀρχικὴ· Εἰσὶ δὲ παρ᾿ αὐτοῖς καὶ ἄζωνοι Ἑκάται, ὡς ἡ τριοδῖτις ἡ χαλδαϊκή, καὶ ἡ κωμάς, καὶ ἡ ἐκκλύστη· ἀζωνικοὶ δὲ παρ᾿ αὐτοῖς θεοί, ὁ Σάραπις καὶ ὁ Διόνυσος καὶ ἡ τοῦ Ὀσίριδος σειρὰ καὶ ἡ τοῦ Ἀπόλλωνος. /

/さらに彼らが言うには、物質の源泉があり、中心と元素と夢想の帯があり、そして魂の源泉がある。源泉に続いて原理があると彼らは言う。というのも、源泉は原理よりも古いからである。生命発生の原理のうち最も高みにあるものは、ヘカテーと呼ばれる。中間にあるものは原初的魂、最も端にあるものは原初的真理と呼ばれる。それらのうちには帯をなさないヘカテーの一群がある。カルデアの交差路のヘカテー、快楽(κῶμος)のヘカテー、洗濯女(ἐκκλυστική)のヘカテーである。それらのうちには帯をなさない神々がいる。サラピス、ディオニュソス、そしてオシリスに連なるもの、アポロンに連なるものである。/