ハイドン「四季」

ハイドン・イヤーの今年はとくに秋にいろいろ出かけたい催しもあったのだけれど、腰痛ですべて行けず残念だった。リュートの師匠は10月のリサイタルで「カッサシオン」2曲を取り上げたそうで、これはぜひ聴きたかったなあ、と(これ、録音も昔のヤーコブ・リンドベルイの全曲録音くらいしかないのでは?)。また今月の頭にはミンコフスキとルーヴル宮音楽隊のハイドン演奏も逃したし……。考えてみると、ハイドン・イヤーとか言われてもそれほど聴く機会があったわけでもない(ヘンデルも同様。ヘンデルはリュート曲とかもないしね)。で、ちょっと反省して(苦笑)、とりあえずアーノンクールとコンツェルトゥス・ムジクス・ウィーンによるハイドン晩年の大作オラトリオ『四季』(Haydn: Die Jahreszeiten (6/28-7/2/2007) / Nikolaus Harnoncourt(cond), Concentus Musicus Wien, Arnold Schoenberg Chor, etc)などを聴いてみる。うわー、冒頭からこりゃド迫力。荘厳な春。一転して軽妙な流れるような調べになる夏。やがて嵐とかがあって喜びの秋を迎える。そしてまたどこか静謐さ漂う冬へ。演奏は全体に近年のアーノンクールならではの重厚感が利いている感じ。アーノンクールにとっては2度目の録音なのだそうな。この曲の完成は1801年ごろとのことで、オラトリオ自体が形式的に古くなっていただろうに、バロック的な要素と古典派的な要素にとけ込んでいる感じで、実に複合的な楽曲になっている。なかなか面白かったり。

↓ジャケット絵はご存じアルチンボルドー。

ピカトリクス

確か少し前まで閉じていた(と思う)adam takahashi’s blogが再開されていて、16日付けでとても興味深いことが記されている。アルベルトゥス・マグヌスが占星術や錬金術に向かったそもそもの要因は、アヴェロエスによるアリストテレスの自然学系の註解書(『生成消滅論』『気象論』)に不満だったからでは、というもの(!)。これは中世の異教的要素の受容という大きな問題も孕んでいるわけで、とても重要な点という気がする。是非とも論証していただきたいところ。

異教的要素の受容という点には、このところ個人的にも関心が高まっている。で、そんなわけで中世の占星術的魔術書といわれる『ピカトリクス』の仏訳本(“Picatrix – Un traité de magie médiéval”, trad. B. Bakhouche et al., Brepolis, 2003)を読もうと思っているところ。まずは訳者らによる序文にざっと眼を通すが、すでにして興味をそそられる。『ピカトリクス』はむしろルネサンス期にもてはやされた書だけれど、ラテン語版が成立したのは1256年とか。逸名著者によるアラビア語のテキスト(Ghâyat Al-Hakîm:『賢者の目標』)がスペイン語に訳されて、そこからラテン語が作られたのだという。いずれの訳者も不明で、二度の翻訳を挟んでいるせいか、もとのアラビア語版とはかなりの違いが出ているらしい(仏訳本はラテン語ベース)。すでにして翻訳の問題が絡んでくるわけか。内容的には魔術の理論面を扱うものらしく、術を行うものが高い教養(哲学的な)をもっていないければならないという倫理的スタンスが強調されるという。また、術に関係する占星術・天文学的知見はプトレマイオスに準拠しているようだ。

「カルデア教義の概要」- 2

/ Εἶτα ἔστιν ὴ νοητὴ ἴυγξ· μετὰ δὲ ταύτην οἱ συνοχεῖς, ὁ ἐμπύριος, ὁ αἰθέριος καὶ ὁ ὑλαιος. Μετὰ δὲ τοῦς συνοχεῖς, οἱ τελετάρχαι· μετὰ δὲ τούτους, οἱ πηγαῖοι πατέρες, οἱ καλούμενοι καὶ κοσμαγοί· ὧν ὁ πρῶτος ὁ ἅπαξ ἐπέκεινα λεγόμενος· μεθ᾿ ὅν ἡ Ἑκάτη, εἶτα ὁ δὶς ἐπέκεινα· μεθ᾿ ὃυς τρεῖς ἀμείλικτοι· καὶ τελευταῖος ὁ ὑπεζωκώς. Σέβονται δὲ καὶ πηγαίαν τριάδα πίστεως καὶ ἀληθείας καὶ ἔρωτος. Φασὶ δὲ καὶ ἀρχικὸν ἥλιον ἀπὸ τῆς ἡλιακῆς πηγῆς καὶ ἀρχαγγελικὸν, καὶ πηγὴν αἰσθήσεως, καὶ πηγαίαν κρίσιν, καὶ κεραύνιον πηγήν, καὶ πηγὴν διοπτρῶν καὶ χαρακτήρων πηγὴν ἐπιβατεύουσαν τοῖς ἀγνώστοις συνθήμασι· καὶ πηγαίας ἀκρότητας, Ἀπόλλωνος, Ὀσίριδος, Ἑρμοῦ. /

/次に知解しうるイユンクス(神の名)が来る。続いて集約者、つまり燃えさかるもの、エーテル的なもの、物質的なものが来る。それら集約者の後には、儀礼を司る者が来る。続いて父なる源泉、「世界を司る者」とも呼ばれるものが続く。その第一のものは「超越的な唯一者」と言われる。続いて来るのがヘカテーで、次に「超越的な二者」、その後に冷酷なる三者、そして最後に腰回りを覆うものが来る。また、彼らは信仰、真理、愛の三対の源泉を崇めている。また、太陽の源泉から出でる支配的太陽と大天使、感覚的なものの源泉、源泉的な判断者、雷の源泉、鏡の源泉について述べ、諸性格の源泉を未知の表徴に盛り込んでいる。さらに崇高なる源泉、すなわちアポロン、オシリス、ヘルメスが来る。/

自彊術……

先月の腰痛病みはだいぶ収まり、こうなると回復・予防のための体操が必要になってくる。病院から腰痛体操というストレッチ系の体操を指示されたけれど、自分でもいろいろと調べてみようと思っていたところ、リュートの師匠から自彊術なるものがあると聞いた。体調が悪いときの回復体操のようなものだという。ウィキペディアのページからリンクされている国立国会図書館の近代デジタルライブラリー内の中井房五郎著『自彊術』(1916年)を見てみたけれど、なるほどこれはラジオ体操の前身みたいな感じで面白い。それほど無理なくやれそうな感じ。

余談だけれど、このデジタルライブラリー、なかなか使いやすい感じだ。10ページ単位でpdfに落とせるのも悪くない。体操の概念は近代的なものだろうけれど、自然治癒を促進させるみたいな整調術のようなものって、西欧とかにはなかったのかしら、とふと思ってしまう。ギリシア&アラビア医学の伝統とかに、何かそれらしいものがあるかもしれないので、ちょっと探ってみることにしようか、なんて(笑)。

ホセ・ミゲルのテオルボCD

ホセ・ミゲル・モレーノのテオルボ演奏によるロベール・ド・ヴィゼーを聴く(R.de Visee: Pieces de Theorbe / Jose Miguel Moreno)。久々にホセ・ミゲル節炸裂という感じ。1995年の録音の再版だけれど、この独特の音色、間合いとテンポ、絶妙な崩し具合(笑)は、ほとんどマネできないような妙技かも。そう、下手な奏者がマネするとすぐさま曲が崩壊してしまうようなきわどい技という感じ。曲にノレないとこれはつらいが、馴れてしまうと(そのことが良いか悪いかはともかく)曲全体としてどこか静謐感のある落ち着いた感触になる(笑)。うーむ、次元が違うので演奏のお手本にはならないが、こういう演奏を好む人もいるはず。用いられている楽器は独奏用にDチューニングにしたテオルボなのだそうで(普通の伴奏用はAチューニング)、通常よりも明るい音色になっているそうな。収録曲はというと、組曲ト長調と組曲ハ長調の合間に「リュリ氏のアルルカンのシャコンヌ」などリュリ絡みの標題作を入れ、最後にクープラン絡みの標題作で締めくくるという構成。