ブレヒト版「アンティゴネ」

ユイレ=ストローブの映像作品から、『アンティゴネ(1991)』(紀伊国屋書店、2008)を観る。正式タイトルは「ソポクレスの《アンティゴネ》のヘルダーリン訳のブレヒトによる改訂版」(1948)。先日記したように『思想としての翻訳』を読んだばかりなので、この「ヘルダーリン訳」というところに激しく反応したのだけれど(苦笑)、本作ではヘルダーリン訳はあくまでブレヒトがベースに用いたというだけで、DVDパッケージのブックレットの解説(渋谷哲也)には、ヘルダーリン訳がそのまま継承されているのは全台詞の2割程度、とある(ほかに約3割がやや書き換えたものだとか)。もう一つの解説(初見基)には、ヘルダーリン訳やブレヒトの処理などについて、冒頭その他のいくつかの実例が紹介されている。とはいえブレヒト独自の部分についても、ヘルダーリン訳そのままであるかのような(実際は違うのに)「ずらされた」表現が全編に散見される、といったことが記されていてなかなかに印象的。実際、このドイツ語のセリフ回し、抑揚の感じなどがどこかギリシア語っぽく響いてくる気がするから不思議だ。作品そのものはまさに「ブレヒト版」で、細部や設定などかなりの変更が施されているという。うろ覚えながら、確かにソポクレスの原作とはいろいろ違っている気がする。映像的には、全編極端に動きが少なく(シェーンベルクの『モーゼとアロン』の映像化も大まかにはそんな感じだったけれど)、舞台空間となる屋外円形劇場跡(シチリアのセジェスタ劇場)に登場人物が立って喋るのを固定カメラがひたすら追うという趣向。というわけで、これはひたすら台詞の響きを味わい、そのやり取り(それ自体は結構面白く、舞台上のコロスがクレオンを批判したりとかする)を味わう劇。とはいえ、何度かそのセジェスタ劇場からはるか遠景の山などが映し出され、それがなんとも美しかったりもする(笑)。

ブックレットによると、件のヘルダーリン訳をそのまま用いて音楽にしたものとしてオルフの『アンティゴネ』があるそうだ。ちょうどブレヒトが本作を用意していたのと時を同じくしているのだそうで、そちらもぜひ聴いてみたいところ。

カルミナ・ブラーナ新盤

クレマンシック・コンソートによる35年ぶりの『カルミナ・ブラーナ』新録音!もちろんオルフのではなく、ブラヌス写本の原曲。いや〜、これまたすばらしい。堪能。非常に端正なピケットのニュー・ロンドン・コンソートによる全曲録音とはまったく違う方向性で人気を二分していたクレマンシック・コンソートの35年前の録音は、世俗的な祝祭感覚満載だったけれど、今回もその世俗感覚は健在。とはいえ年月のせいか、少しおとなしくなったというか洗練されたというか、端麗さが増した感じも。

いやー、それにしても最後の3曲なんかの盛り上がりは最高。CB185「Ich was ein chint so wolgetan(私はおとなしい娘でした)」のサビ「Hoy et oe, / maledicantur thylie / jusxta viam posite」、CB200 「Bache, bene venies(バッカスよ、ようこそ)」のサビ「Istud vinum bonum vinum, vinum generosum, / reddit virum curialem probum animosum」なんかは耳について離れない。ついいっしょに歌ってしまう(笑)。締めのCB196「In taberna(居酒屋で)」も実にいい。やはりこういう酒の歌が個人的にはお気に入り。ラブレー的世界に乾杯。

Carmina Burana -Original Version by Codex Buranus of 13th Century / Rene Clemencic, Clemencic Consort [SACD Hybrid]

ビウエラ本

090415-143532こちらも最近アマゾン・ドイツのマーケットプレースから届いた一冊。ルイス・ミランのビウエラ曲集(Luis Milan, “Libro de musica de vihuela de mano”、1535)。もとは1927年にライプチヒで出たオリジナルのタブラチュアと五線譜の「対訳本」で、94年にそれをリプリントしたもののよう。抄本かなと思っていたら、ちゃんとフルバージョンで、40曲余りのファンタジアその他諸々がすべて入っていた。わぉ、こりゃ嬉しい(笑い)。こういうのを眺めていると、ルネサンス・リュートで弾くのもいいけれど、ちょっとマジでビウエラを入手したくなってくる(笑)。個人的にはイタリア式のタブラチュアもそれなりに馴れてきたと思うけれど、このミランのタブラチュアは通常のイタリア式タブラチュアと上下が逆、という不思議なもの。このあたりに何か意味があったのか、というのはとても気になるところ。ま、それよりもなによりも、ルイス・ガセル『16世紀の演奏習慣に見るルイス・ミラン』(Luis Gasser, “Luis Milan on Sixteenth-century Performance Practice”, Indiana University Press, 1996”)なんてのもしばらく前から積ん読になっているので、まずはそちらを読んで勉強しよう(笑)。

長旅ご苦労様

今朝届いた荷物は、なんとまあ注文から1年以上経っていた本たち。クリスティーナ・ヴィアーノ編『アリストテレス・ケミクス』(Christina Viano (ed), “Aristoteles chemicus – Il IV libro dei Meteorologica nella tradizione antica e medievale”, Academica Verlag 2002)ほか一冊。イタリアの古書店に注文して、発送の連絡を受けてからひたすら待ち続け、半年近くたったところで問い合わせメールを出したら、「セカンドコピーを送る」との返事をもらい、さらにひたすら待って、昨年秋ごろに再度問い合わせメール。「確認して、対応する」との返事が来たものの、やはり荷物はとどかず、これは完全にロストしたかもなあ、と思って半ばあきらめていた。それがやっと到着。見ると、書籍を入れた袋の表面には幾十ものテーピング。そして発送日は今年の4月6日になっているでないの。ってことはこれ、宛名違いか何かで日伊間を数回往復していたのかも(???)。いや〜長旅ご苦労様という感じ。そう思うとひとしおですなあ。まだ中身はちゃんと見ていないけれど、アリストテレスの『気象論』第4巻(熱やら物質変成やらを扱った箇所)の後世の注釈などを取り上げた、99年のセミナーの論集で、目次を眺めるだけでも大いに期待できそう(笑)。

翻訳論集成

ドイツ系の近代の翻訳論を集めた『思想としての翻訳』(三ツ木道夫編訳、白水社)。ロマン派あたりの翻訳論だけあって、中身もかなり文学論寄りで、ときにある種の思いこみのような議論に貫かれていたりもするのだけれど(笑)、とにかく翻訳の対象が主にギリシア・ラテンといった古典語で(さすがロマン派)、ドイツのそのあたりの豊かな伝統に思いを馳せることができる。とりわけヘルダーリンの訳業が高く評価されているところが印象的。ノイベルト・フォン・ヘリングラードなどは、他の凡百の翻訳が原典からいろいろに隔たってしまうのに対して、ヘルダーリンのピンダロスの訳は、逐語訳との批判を受けるほどに通常のドイツ語からすれば破格であろうとも、「一つの原理から生まれた統一体」であり、「原作の芸術としての性格を再現しよう」としたものだ、と絶賛している。ベンヤミンもまた、ヘルダーリンの翻訳を「翻訳の原像」だと断定する。ベンヤミンは翻訳の考え方として、意味すら超えた、意味の彼方にある作品としての本質そのもの(純粋言語と称される)を目指すべきだといい、一種の超越論、あるいはイデア論的な理想を掲げている……。個人的にはヘルダーリン訳そのものを見たことがまだないのだけれど、「ギリシア抒情詩の様々な音調を再現」(ヘリングラード)しているとされ、「形式を再現する上での忠実」(ベンヤミン)とされるその訳業、ぜひ見てみたいところ。