(bib.deltographos.com 2024/04/12)
ローティ
NHKでやっている「100分de名著」シリーズは、番組は見たことがないのですが、テキストは何冊か手に入れて読んでいます。で、最近取り上げられていたのがリチャード・ローティの『偶然・アイロニー・連帯』。エッセンスが手際よくまとめられている感じで、個人的には好印象でした。
同テキストの著者、朱喜哲氏のまとめによると、ローティが考える哲学は、絶対的真理や本質を求める営為ではなく、偶然性に寄り添うものでしかありえない、人は己自身の記述をつねに改訂していく可能性に開かれていなくてはならない、と説くものなのですね(そういえば、『訂正可能性の哲学』でも、ローティは言及されていました)。
そしてそのための契機として、小さなコミュニティ(連帯)による会話の継続性がとても重要になると説いているのですね。大きな権力や、固着した概念などに抵抗する上で、そのような小さなコミュニティこそが、大きな武器になるかもしれない。これがローティの説く実践だ、というわけです。いいですね、これ。「小さなコミュニティ」論は、これからとても重要になりそうな印象です。
このテキスト本(または番組)を受けてか、『偶然・アイロニー・連帯』(岩波書店)そのものも結構売れていると聞きますが、とても残念なのは、Kindle版が固定レイアウトだという点です。岩波書店さんはもうちょっと考えていただきたいですよね。月刊の『世界』も、昨年末からリニューアルして電子版も出ていますが、こちらも固定レイアウトなんですよね。ちょっとそれ、安易すぎませんか。ローティ本は、できれば文庫化して(分冊でもいいので)、普通に電子書籍を作っていただきたいです。
フォンタマーラ
これも「小さなコミュニティ」論に関連するかもしれません。kindle unlimitedで出ていたので、イニャツィオ・シローネの小説、『フォンタマーラ』(齋藤ゆかり訳、光文社古典新訳文庫)を読んでみました。
シローネを読むのは初めてです。共産党員としてファシズム政権に追われたものの、スターリンのソ連を見て失望し批判するようになって、イタリアの共産党から除名されたという異色の経歴をもつ作家です。
で、この『フォンタマーラ』ですが、題名になっている村にくらす。自称「どん百姓」たちが織りなす群像劇です。町から突然やってきた行政官たちに蹂躙され、村の水源や土地すら奪われ、赤貧の中で暮らす「どん百姓」たち。それでも彼らは毒を吐き、呪詛をなげつけながら、必死に自分たちの土地で暮らそうとします。描かれるのは貧しい人々の哀しみですが、同時にそこには、なんとも言えないおかしみ、皮肉なども込められています。その活写がすばらしい。ただひたすら悲惨なのではなく、悲惨さのなかに人間讃歌があふれている……そんな感じの作品です。小さなコミュニティでの会話は、やがて大きなうねりへと転じていく、のでしょうか。そのプロセスの端緒を、描き出しているような印象を受けます。