ジラール・ド・ルシヨン

根津由喜夫『夢想のなかのビザンティウム – 中世西欧の「他者」認識』(昭和堂、2009)を読み始める。12世紀ごろの文学作品4本をもとに、作品中のビザンツ人の描かれ方などから、中世人がビザンツ世界をどう捉えていたかの一端を見ようという論考。まだ第一章だけしか見ていないけれど、取り上げられている「ジラール・ド・ルシヨン」がすでにしてそれ自体でむちゃくちゃ面白そうなのだ(笑)。これは未読。同書に概要がまとめられているのだけれど、シャルル禿頭王とビザンツ皇女姉妹をめぐって仲違いしたジラール・ド・ルシヨンが、その王の軍隊に攻め込まれ、逃亡者に身を落とし、妻となったその皇女の姉のほうの計らいで王と和解し、最後にはサント・マドレーヌ聖堂の建立話ががからんでさながら聖人伝みたいになるのだという。うーん、これはそのうち読んでみたいところ。

著者は作品のモデルになった歴史上の人物たちを掘り起こし、主要なモチーフ(姉妹の交換など)についても同じく史的な源流を探ろうとしている。きわめて堅実なアプローチ。ビザンツとの絡みについては、カロリンガ朝のビザンツとの関係が詳しく語られているけれど、作品を通じての「他者」受容史というあたりはあまり触れていない。まあ、まだ第一章だから、これからいろいろ展開するのだろう。二章以降は、「シャルルマーニュ巡礼記」、クレチアン・ド・トロワの「クリジェス」、そしてゴーティエ・ダラス「エラクル」が取り上げられる。この最後の作品も知らないものなので、さらに楽しみ。

セルティック・ヴィオール

古楽というよりはトラッド系だけれど、これはご機嫌な一枚。古楽の大御所ジョルディ・サヴァールのヴィオール、アンドルー・ローレンス=キングのハープによる『セルティック・ヴィオール』(The Celtic Viol(AliaVox, AVSA 9865))。両者の絶妙なコラボがなんともいえない見事な味わいをかもしている。うわ〜、こりゃ見事。また一つ名盤が、という感じ。アイルランドとスコットランドのトラッドミュージックなのだけれど、全体を貫くこの妙に懐かしい感じの、哀調を帯びたトーンが染みる。陽気な舞曲すらも、なにかこう、周りに拡がる哀愁の海にぽっかりと浮かんだ、はかない一瞬の花火を思わせるような……。このなんともいえない喚起力の凄さ。こういう暑い時期には、意外にこういうのが良いかも(笑)。

Baroque Classical/The Celtic Viol: Savall(Viols) Lawrence-king(Irish Hp) (Hyb)

iPod Touchで古典が読みたい(3)

久々にiTunes Storeのアプリストアを見ていたら、古典ギリシア語の新しい辞書が掲載されていた!Lexiphanes Greek Dictionaryというもの(こちら→Lexiphanes Greek Dictionary)。iPhone OS 3.0用(iPod Touchも要アップグレード)で、230円。こちらも前のGreek English Lexicon同様、1924年版のLiddle & Scottがベースなのだけれど、後発の強みで、表示のレイアウトがとても見やすくなっている。また、検索語の下に一般的な意味がちょろっと出ているのもとても気が利いていて便利。また、これはAutenrieth’s Homeric Lexicon(1889)も併せて収録しているので、アッティカ方言ばかりかホメロスのイオニア方言とかにも対応。この2冊でのクロス検索はできないものの、検索語を打ち込んでから切り替えることはできる。iPhone 3.0から現代ギリシア語のキーボード配列が入ったので、それをオンにしておいて切り替えて入力することもできるのだけれど、なぜか個人的にそれをやると微妙に検索精度が落ちる(これは謎だ……バグかしら?)。そんなわけでとりあえずは普通の西欧キーボードから検索している(いわゆるBeta Code入力)。うん、でも全体としては結構お薦め。

モノに宿る力とは……

秋山聰『聖遺物崇敬の心性史』(講談社選書メチエ、2009)を読み始める。とりあえず前半。教会の拡張政策と相まって拡がり、中世の民衆の信仰にまで根を下ろした聖遺物崇拝について多面的にまとめた好著。聖遺物崇拝の起源、史的展開、演出・造形的変遷などが章ごとにつづられている。第二章でアインハルトの奉遷記の内容が細かくまとめられているのが個人的には興味深かった。なるほどすでにシャルル・マーニュの時代に、聖遺物ブローカーのような存在が教会関係者を相手に商売を始めているわけか。アインハルトが、隠棲のために建立していた教会も、思わぬ聖遺物の数々の入手によって大幅に計画修正させられたという話も。時代が下って12世紀ごろの聖遺物容器が人前に出されて、華麗な装飾を施されるようになると、学識者たちが賛否両論の見解を示すというくだりも興味深い。「ほとんど唯一の神学的論考」とされるエヒテルナッハのテオフリートの論というのも紹介されている。天上世界での栄誉にあずかる聖人には、地上でも相応の栄誉をもって扱わなくてはならないという、そうした華美の礼賛論らしいけれど、これなどは原文を読んでみたい気もする(笑)。

とにかく、聖遺物崇敬が聖職者も民衆も巻き込んだ大きな社会動向となっていたことが様々な具体例から窺える。見た目には時に貧相だったりする聖遺物に、神の力が働く媒体を見るという民衆的想像力。古代からの伝統的な信仰が起源とか言われるけれど、いずれにしても、それってもしかして時代が下ってからのインペトゥス理論のような、ごく自然の力もまた媒体に宿る・温存されるといった考え方の、はるか源流の一つになっているのかもしれないという気もしてきた。うーむ、このあたり、ちょっと検討してみるのも悪くないかもしれない……。

夏読書

このところの夏本番で、暑さにダレる。うーむ、いかんな。夏はどうしても効率は下がるけれど、なんというか気分的な余裕みたいなものがあって、ちょっとほかの季節とは違った感じで読書などにも取り組みたくなる。というわけで、今年も夏読書の季節。とりあえずの予定としては、まず、ピロポノスがキリスト教に入信してからの著書「世界の始まりについて」。3巻本で出ている希独対訳本(Johannes Philoponos “De orificio mundi”, Clemens Scholten (ubs.), Herder 1997)を入手したので、これを読み進めるつもり。聖書と新プラトン主義思想の融合……ではないようだけれど、聖書に見られる自然学を浮き彫りにしているという、ある意味希有の書とのことで、期待大。インペトゥス理論がらみの説明が入っているという話もあるので、ちゃんと確認しないと。もう一つ(というか二つだけれど)、これもメルマガでやっているインペトゥス理論関連かもしれないけれど、ブノワ・パタール編でジャン・ビュリダンとザクセンのアルベルトそれぞれのアリストテレス「天空論」注解(“Ionnis Buridani Expositio et quaestiones in Aristotelis ‘de Caelo'”, Benoît Patar (éd), Editions Peeters, 1996)(Alberti de Saxonia Quaestiones in Aristotelis ‘de Caelo'”, Benoît Patar (éd), Editions Peeters, 2008)をちょっと前に入手し、手をつけていないので、そろそろ目を通したいところ。2冊とも大部だけれど、まあ、一部分だけでも見ておきたいなあ、と(笑)。