ちょっと閑話休題的だけれど……空き時間読書(移動時間その他での)でゆるゆると眺めるつもりが、例によって一気に加速してしまったのが頼住光子『道元–自己・時間・世界はどのように成立するのか』(NHK出版、2005)。これがなかなか面白かった。『正法眼蔵』の難解なテキストの核心部を、なんとも実に鮮やかな手さばきで切り分けてみせた良書。小著ながらとても読み応えがある感じ。現代思想などでこういう分析的な解釈をするのは多々あっても、日本の古典、しかも道元にそういう道具立てで切り込んでいくというのはなかなか凄い。特に後半の、自己と時間と存在とが一種の「配列論」として扱われるところなどは圧巻。時間は客観的な軸にそって流れるのではなく、「配列」によって連続していく、その意味づけ(配列)によって世界が現成化し、同時に自己も立ち上がるのだ……と。うーん、仏教方面はあまりよく知らないし、古文のテキストもちゃんと読めないけれど(苦笑)、とても刺激的な世界が潜んでいるのだなあ、と。巻末に収められた参考文献とか見ると、フランス文学者や西欧哲学の研究者などにも道元を論じている人がいたりして、そのこともとても興味深い。