雑感……

F2のニュースでも取り上げていたけれど、ミシェル・オンフレの新刊(なにやらすごい数出している(笑)。最近はテレビにも結構出ているようで、なんだか昔のBHLっぽくなっているような……)はフロイトをやり玉に挙げたものだそうだ。あれ?でも前には精神分析とか結構評価していたんじゃなかったっけ?ま、読んでみないとわからないけれど、そのニュースの中のインタビューで本人が言っていることから推察するに、どうやらフロイトの言行不一致を問題としてあげつらっているものらしい。古代ギリシア的な理想として、思想というのはそれを抱く人を律してしかるべきもの、というのがオンフレの基本的スタンスだったと思うけれど、そこからすると言行不一致などもってのほかということになるのだろう(その意味では、中世思想に関心を抱くような奴がオンフレを訳すというのももってのほかかもしれないが……(苦笑))。でも、そういう「思想家の言行不一致狩り」に始終してしまうのなら不毛。それならむしろ、精神分析が使うツールとか概念とかに直に切り込んでいくほうがよっぽど面白いし、生産的なはず(って、なんだかガタリとかを思い出すが……)。あるいは学知の体系が組み上げられる過程を攻めるとか、なにかそういう方向を期待したいところなのだけれど……。精神分析なども立派に学知として成立しているわけで、そうなるとそこにはいろいろな制約が設けられているのは必定。で、制約を嫌うオンフレのようなキャラクターなら、そういう制約こそ突破してほしい。ただ噛みつくだけでは到底揺るがないものだろうから、なおさら周到なアプローチで……。

「魔術師たちのルネサンス」

当然ながら、忙しい時には、短い断章がたくさん並んでいるような書籍を空き時間でちらちら眺めるというのがやっぱり良い。逆のじっくり型の本は、とぎれとぎれに読むと全体の流れを見失ってしまう(苦笑)。で、澤井繁男『魔術師たちのルネサンス』(青土社、2010)はまさにそんな「忙しい時」の空き時間読書に最適。重そうなタイトルとは裏腹に、ルネサンス全般を軽いタッチで、トピック別に25の短い章にまとめたエッセイ集という趣向か。各章も、著者の身近な話などを枕にしているので、どこかの連載のよう。そんなわけで、どこからでも拾い読みできる。でも、各章はそれぞれもっと長大な論考にも発展させられるような凝縮された内容なので、ややもったいない感じがしないでもない……。古代や中世との繋がりの中でルネサンスを見るというスタンスなので、それらへの言及も多々あり、全体像を手早く眺められるところも好感。枕の生き生きとした筆致が、学問的な内容になるとすっかり姿を消してしまうのがちょっと惜しまれる気も(笑)。

プロクロス「カルデア哲学注解抄」 – 2

Κουφίζεται δὲ ἅπαν τὸ σπεῦδον εἰς τὸν ἄνω τόπον, ὥσπερ βρίθει τὸ εἰς τὴν ὕλην φερόμενον. Τέλος δὲ τῶν ἀνόδων ἡ μετουσία τῶν θείων καρπῶν καὶ ἡ αὐτοφαὴς τοῦ πυρὸς ἀποπλήρωσις, ἥτις ἐστὶν ἡ θεοῦ ὄψις, ὥς ὑπ᾿ ὄμμασιν αὐτὴν τιθεῖσα τοῦ Πατρός. Ὑμνῳδὸς δὲ ἀποτελεῖται τῶν θείων ἡ ψυχή, κατὰ τὸ λόγιον, τὰ συνθήματα τοῦ Πατρὸς τὰ ἄρρητα προβαλλομένη καὶ προσφέρουσα αὐτὰ τῷ Πατρί, ἃ ἐνέθετο ὁ Πατὴρ εἰς αὐτὴν ἐν τῇ παρόδῳ τῆς οὐσίας. Τοιοῦτοι γὰρ οἱ νοεροὶ καὶ ἀφανεῖς ὕμνοι τῆς ἀναγνομένης ψυχῆς, ἀνακινοῦντες τὴν μνήμην τῶν ἁρμονικῶν λόγων οἳ φέρουσιν ἀπορρήτους εἰκόνας τῶν θείων ἐν αὐτῇ δυνάμεων.

質料に向かうものが重みを増すように、高き場所へと急ぐものはすべて軽くなる。上昇の道の果てには、神の恵みへの参与、みずから輝く火による満たしがある。それは神の目でもある。なぜなら、その魂は「父」の視線のもとに置かれるからである。神託によると、魂は神々の賛歌を歌うことができるようになり、言葉にしえない「父」のしるしを発し、それを「父」へと差し出すのである。そのしるしは、父が、その魂を存在に加える際に、その中に吹き込んでおいたものである。なんとなれば、それこそが高みにのぼる魂の知的な、目に見えない賛歌だからである。魂は、調和の言葉の記憶を呼び覚ますが、その言葉こそがおのれの中にある、神の力の秘められた姿なのである。

閑話休題

外出時の通信環境を少し変える。出先でiPod Touchでネットする場合、これまではアドエスでWiFiSnapを起動して接続していたのだけれど、少し前からこれをイーモバイルのPocket Wifiで繋ぐことに。これがまた快適。いきおいネット系のアプリをいろいろ入れ直す。速度的にはずいぶん違うし、アドホック接続じゃないので複数台(と言ってもそんなにもっていないのだけれど)同時に繋げられて便利かも。かなり古くなったもののまだ現役のSigmarion IIIなんかも、ネットワークカードさして繋げられるし、Ubuntu 8.04入れたままの旧iBook G3も繋げられる。まあ、アドエスとは違って、ビルの中に深く入り込んでしまうと電波は届かないのだけれど、必要があれば(あまりないが)その場合だけWiFiSnapで繋げばいいだけの話。アドエスはほぼ通話オンリー&予備のネット接続という感じに。

医学占星術2

ちょっと忙しくなってきたので、あまり読む時間が取れないものの、一昨日の『星辰・医学』から、ヒラリー・M・キャリー「中世ラテン占星術と生のサイクル」という論考を時間の合間にちらちらと眺める。端的なまとめで、結構勉強になる(笑)。インドなど東洋とは違って、西欧の中世は占星術もギリシア語、アラビア語からの翻訳を通じて学者世界に入ってきているために、伝統がそのまま(多少の曲解はあっても)温存された側面があるといい、医学占星術も偽ヒポクラテス文献や一部のガレノス系文献を通じて、一種のサブセットとして流入してきたのだという。大局的には占星術の側に医学的な要素が混じり込んでいる側面が強く、医学プロパーにおいては占星術の要素はそれほどウエートがないのだそうだ。なるほど。オリジナルテキストとして重要とされるのは、まずは偽ヒポクラテスの『医学占星術(Astrologia medicorum)』。英訳が複数存在するほか、ロジャー・ベーコンが勧めていたり、アーバノのピエトロ、チェコ・ダスコリなどが引用しているのだとか。黄道帯がらみではセビリアのイシドルス『語源録』。また当然ながらプトレマイオスの『テトラビブロス』。ちなみにこれのラテン語訳はカスティリアのアルフォンソ10世の宮廷で、テバルディスのエギディウスという人物が行っているという。そしてアルブマサル『大入門書(Introductorium maius)』。