先週末のメルマガでも触れたラ・ロシェルのジャン。ボナヴェントゥラの先輩筋にあたるこの人物についてのごく小さな論考(一見ほとんど中間報告のようなもの)を読んでいて、こちらの勘違いもあって軽い衝撃を受ける(苦笑)。以下はその顛末。論考というのは、デニス・ライアンという研究者の「ラ・ロシェルのジャンにおける存在と本質の区別の定式化」(Denise Ryan, ‘ean de la Rochelle’s Formulation of the Distinction between Being and Essence’, in “Maynooth Philosophical Papers(4)”, 2007, pp.123-129)というもの。まず、ジャンの『霊魂大全』(Summa de anima)において、quod est(実際にあるもの:存在)とquo est(実際にあるものの拠り所となるもの:本質)という、トマスが用いていた区別が、物体的なものと非物体的なものの違いの文脈で語られているという説明がある。次いで、この区別がもとはボエティウスに遡ることが示され(ふむふむ、これはよく言われること)、一度忘れられていたこの定式がフィリップ・ル・シャンスリエ(13世紀初頭、パリ大学の学長)によって再び見出されたことが紹介されている(おー、これは勉強になるなあ、と感心)。続いて論考はアラブの伝統に目配せし、アヴィセンナの有名な「中空人間」の思考実験(これはジャンのテキストにも取り上げられている)に言及し、デカルトのコギトとは文脈も目的も違うことを解説する(そりゃそうだ、と納得)。アヴィセンナにおいて魂と肉体が意外に密接に関係していることを示し、アヴィセンナの用語において「本質」ではなく「モノ」が使われていること、両者が必ずしも同じ意味ではないことを指摘してみせる(おお、と思う)。ついで今度は非物体的存在についての質料形相論をめぐるトマスとボナヴェントゥラの対立を取り上げてみせる(あれれ、ジャンはどうなったの?と訝る)。そして結論部分で、なんとトマスのquod estとquo estの区別のソースは、ジャンの『霊魂大全』だったのではないかという仮説を示してみせるのだ!いきなりだったので、ちょっと面食らった(どひゃ−)。こちらが、執筆年代を少々勘違いしていたせいもあるのだけれど……。トマスの『存在者と本質について』は1252年から56年頃(もっと前だと思っていた)、ジャンの『霊魂大全』は1235年から36年頃(もっと後だと思っていた)なのだそうで、さらにトマスがジャンの著作を読んでいた可能性を示す証拠はほかにもあるという。うーむ、例によってこの是非はすぐには判断しがたいけれど、確かにそれはちょっと面白そうではある。ちなみにこのデニス・ライアン氏は、ジャンの『霊魂大全』の校注・英訳を博士論文で手がけていると記しているから、そのうち出版されるかもしれない。期待していよう。
↓wikipedia(en)より、フラ・アンジェリコ画の聖トマス・アクィナス