アルベルトゥスの「悟性」論?

メルマガとの関連でアルベルトゥス・マグヌスの預言論を眺めていることもあって、参考文献ということで小林剛『アルベルトゥス・マグヌスの感覚論』(知泉書館、2010)に目を通す。翻訳ではない、アルベルトゥスについてのまとまった邦語の研究書としてはまさに初ではないかしら。著者の発表論文をまとめたもののようだけれど、アルベルトゥスの感覚論(外部感覚、内部感覚)について一通りの理解が得られるようになっている。感覚論が中心だけれど、当然そこにはコスモロジーも含めた様々な要素が絡んでくる。そのあたりにも目配せの届いた論考だ。テキストに沿って思想内容を整理する手堅い研究でもある。個人的なさしあたりの興味との関連でいうと、終盤の「表象力」「評定力」を論じた六章以降がとりわけ注目される。表象力というのは感覚像と意味内容を「複合分離する能力」(p.118)で、評定力というのは「抽象的な意味内容を引き出して把捉する能力」(同)なのだそうだが、アルベルトゥスはこれらを理性的な力とはせず、感覚能力の一部と見なしているのだという。うーむ、なにやらまるでカントの悟性論の源流を見るかのようだ。そういえば悟性論の系譜って、改まって考えてみたことなかったなあ(苦笑……反省)。

アルベルトゥスがそれらの能力を感覚の側に据える理由についても、著者はテキストに即して追っていく。で、それらの能力を司るものとして「自然」があるとされて、そこから一気にコスモロジーへと上昇していくあたりは、まさにもとの神学的テキストのダイナミズムのようなものを体感させてくれるような感じもあって引き込まれる。これら「表象力」「評定力」を、アルベルトゥスはアヴィセンナから汲み上げ、それに一種の拡張をほどこしているらしいことも著者は論じている。かくしてアルベルトゥスは、「感覚認識を自然学の学としての基礎となり得るものと理解した」(p.145)のだという。