「エネルゲイア」:たぐり寄せのロープ?

まだ読み始めたばかりで、ほとんど序論部分だけなのだけれど、すでにして面白い展開になっているのが、デーヴィッド・ブラッドショウ『アリストテレスの東西』(David Bradshaw, “Aristotle East and West”, Cambridge Univ. Press, 2004。これはのっけからぐいぐい引きずり込む感じ。アリストテレスが用いる用語の一つ「エネルゲイア」(ἐνέργεια)の用法が、著作の中でどう変遷し、そして後代においてどう読まれ解釈されたかを、順にひたすら追っていくというものなのだけれど、さながら海面に出ていた一本のロープをひっぱったら、それが海中に拡がる網の一部で、海底にあった膨大な量の遺物があれもこれもひっかかって浮上した、という感じの展開になっている。最終的には東西の文化圏におけるアリストテレス受容の違いにまで至るという見取り図。うーむ、これは見事。壮観だ。序論に相当するのは第四章くらいまでで、アリストテレス本人のエネルゲイアの用法から「不動の第一動者」をめぐる神学の問題圏、そしてリュケイオンの継承者たちがそれをどう継承したか(しなかったか)、さらに中期プラトン主義にどう反響し、次いで新プラトン主義にどう影響するのか、といったあたりまでが文字通り「たぐり寄せられて」いる。

まだちゃんと目を通してはいないけれど、この後、西側についてはポルピュリオスからマリウス・ウィクトリヌス、キリスト教の初期教父、プロクロスの系譜などと続き、東側はについてはディオニュシオス・アレオパギテスから証聖者マクシモスなどが取り上げられ、最終的には西はトマス、東はグレゴリオス・パラマス(13世紀のギリシアの神学者)へとなだれ込む模様だ。うーむ、なかなか期待できそうだ(笑)。ポイントとなるような箇所があれば、またここにもメモしていこう。