少し前に取り上げたオリヴィ関連の論集『ペトルス・ヨハネス・オリヴィ – 哲学者そして神学者』から、アントニーノ・ペタジーネの論考(Antonino Petagine, ‘La materia come ens in potentia tantum. Tra la pozitione di Sigieri de Brabante e la critica di Pietro di Giovanni Olivi’)を眺めているのだけれど、オリヴィの批判を通じてブラバンのシゲルスの質料観を見るという主旨の論文ながら、その前段階としてアルベルトゥスとトマスの議論をまとめていて参考になる。で、そのアルベルトゥスの箇所で、先行する批判対象の論者としてディナンのダヴィドが出てくる。12世紀から13世紀初めごろ活動していた汎神論者。1210年に著書「クアテルヌリ」が禁書となり、パリを追われたという。アルベルトゥスとトマスによる批判を通じて知られるという、ちょっと史的な意味でも数奇な人物だ。質料論に関しては、アフロディシアスのアレクサンドロスの「エピクロス的」テーゼをもとに(んん?)、第一の基体を神と同一視し、完全なものに不完全なものが結びつくことによって存在がもたらされると考えているらしい。ちょっとよくわからないのだけれど、要は基体の原理と、存在を成立させる原理が異なり、後者が前者を指向するみたいな話のようなのだが……。なにやらこういう異質なものを見ると俄然読みたくなってくる(笑)。
あまり進展していないスアレス研だけれど(苦笑)、久々に論文を読んでみる。ジェームズ・サウス「スアレスと外部感覚の問題」というもの(James South, ‘Suarez and the Problem of External Sensation’ in “Medieval Philosophy and Theology” Volume 10-2, September 2001)。スアレスが論じるきわめて細やかでわかりにくい外部由来の感覚と感覚能力、そしてスペキエスの問題を、トマスとの対比を通じて比較的明快に描き出そうというもの。トマスはスアレスが準拠するテキスト(の一つ)だけに、その違いという面をピックアップしていけば、確かに基本線が見えてきそうな気がする。けれど実際にそういう作業をするのは大変という印象。それをやってのけているところが、なかなか読み応えのある論考になっている。今回のポイントもやはりスペキエス絡みの扱いだ。まずトマスは、感覚能力を純粋に受動的な能力と見なし、そこから何かを形成するものではないと考えている。感覚能力は感覚器官に限定される能力で、感覚器官が感覚を受け取ったときにその能力が可能態から現実態になる。で、これを仲介するためにスペキエスがある。これはいわば、感覚能力が対象物の形相(感覚的形相)を質料抜きで受け取ったもの、ということになる。スペキエスには質料的な側面はないと考えるわけだ。スペキエスの受理が感覚の成立と同一視されたりもする。ところがこのままでは、物理的なプロセス(感覚が送り込まれる)から感覚的認識への移行の部分がブラックボックスのようになってしまう。これに対して挑むのがどうやらスアレスということのようだ。
日本でも『チェーザレ』が人気だけれど、米国やカナダではニール・ジョーダン製作のTVシリーズ『Borgias』なんてのを放映しているそうで、さらに仏独共同製作の『Borgia』というTVシリーズも控えているという。日本の戦国時代ものではないけれど、ボルジア一族というのは歴史ものとしてやはり一定の人気がある素材らしい。で、ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXが毎年出しているブック付き「音楽絵巻」(と勝手に呼ばせてもらうけれど)CD集の新盤は、そのボルジア一族の歴史を音楽でもって追体験しようというもの(Medieval Classical/Dinastia Borja: Savall / Hesperion Xxi La Capela Reial De Catalunya (Hyb))。でもTVシリーズの便乗企画などではなく、実はこれ、2010年がボルジア家から輩出した聖人、フランシスコ・ボルハの生誕500年に当たるということで企画されたものらしい。例によって各国語で記されたブックと、CD3枚という長大さ。ボルジア家をめぐる年代記順に、関連しそうな曲をピックアップして構成している。基本的に各曲をじっくり聴くというよりは、曲を通じて歴史に想いを馳せていただこうという趣向。毎度のことながら、これはこれで面白い試み。今回も最初はムスリム時代のバレンシア、つまりはアラブ系の音楽から始まり、最後はフランシスコの列聖をグレゴリオ聖歌(”Pange lingua gloriosi”)で飾るという、トラッド系から聖歌、器楽曲まで幅広くこなすサヴァール一座ならではの盤となっている。ちなみに、声楽を担当するのはこれまたお馴染みラ・カペッリャ・レイアル・デ・カタルーニャ。
個人的な聴き所を挙げておくと、まずCD1ではなんといっても11曲目から14曲目まで居並ぶ、モンテカッシーノ修道院の写本から作者不詳の聖歌(以前、それらを集めたCDも出していたと思う)。CD2はジョスカン・デプレとかも入っているけれど、末尾の20曲目、作者不詳の「バレンシアのシビラ」(Sibil la Valenciana)がなかなかいい。CD3は一番盛り上がる一枚で、ルイス・ミランのファンタシアなども入っているけれど、なんといっても要所要所を押さえているのはクリストバル・デ・モラレスの宗教曲。これが全体を妙に引き締めている感じで、とても好印象だったりする。