人新世と経済

抜本的変化へのメソッドは?


 岩波の『世界』5月号は、第一特集が「人新世とグローバル・コモンズ」。いったい何度目になるのかわからないほどですが、気候変動問題を再度取り上げています。でもやはりいつも問題になるのは、経済(とくに成長経済)との兼ね合い、両立といったあたりの話で、これには個人的に、いつもどこか落ち着かない違和感のようなものを感じてきました。

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 そんななか、資本主義経済を続ける限り、地球環境の問題解決、あるいはコモンズとしての広義の資源は管理などできない、と言い切る論考が出てきましたね。最たるものが、ベストセラーになっている斉藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社文庫、2020)です。総じて、成長主義経済の枠内でマイナーリペアをする程度では、環境破壊は食い止められないというのが基調になっています。下手をすると、気候変動対策が、真の問題を覆い隠してしまい、破滅への道を早めてしまうかもしれない、と。ここはもう定常経済へとラディカルにシフトしないとやばい、というわけなのですが、その理論的な支えとして出してくるのが、晩年の資本論以後のマルクスです。

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 いまさらマルクスか、という感じも個人的になきにしもあらずだったのですが、晩年のマルクスは、最終的に生産主義も、ヨーロッパ中心主義も脱却し、環境の問題へと接近していたのだ、と著者は述べています。これは知りませんでしたね。で、それをベースに、定常経済(拡大を目指さない経済)へとシフトするためには使用価値を重んじるようにならなければダメだと訴えています。そういうことを念頭に置いた運動も実際に出てきているのではないか、という見立てになっています。

 でも、そのような可能性が現実のものになるには、世界のかなりの部分がある程度一斉に、散発的にではなく、シフトしていく必要があるように思います。さもないと、マイナーリペア的な成長経済の動きに席巻され、蹴散らされてしまいそうです。では、そうした一斉的なシフトを実現するにはどうすればよいのか、どういうメソッドがありうるのでしょうか。ここが、どの議論でも触れられていない肝の部分であるように思えます。

 素人考えですが、もしかしたらヒントになるのは、前にも触れたガブリエル・タルド的な、数量化・データを徹底ないし精緻化するかたちで、経済学そのものを変革することかもしれない、なんてことを漠然とですが、思ってしまいますね。クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の指標化などは、最もとっつきやすい部分かもしれません(もちろん簡単ではないでしょうけれど)。

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