さわる/ふれる

分析的アプローチから観る「触覚」の意味論


 ヴァレリー論がよかった伊藤亜紗の『手の倫理』(講談社選書メチエ、2020)を読んでみました。これも誠実かつ鋭い良書でした。キーになっているのは、「さわる」と「ふれる」の意味論的な違いで、これが「道徳」と「倫理」の意味論的な違いに重ねられ、またさらにはコミュニケーションの分類としての「伝達」と「生成」に重ねられます。そこから見えてくるのは、トップダウン的・一方向的な「かくあるべし」という姿勢に対するアンチテーゼとしての、ボトムアップ的・相互浸透的な「これもまた誠意」の姿勢です。ちまたでよく聞く「安全・安心」に対する「信頼」の位相でもありますね。個人的には直立に対する蹲踞の姿勢のようなものを連想しました。

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 アマゾンの書評の欄では、介護に携わっているらしい方から、誤読とおぼしきコメントが寄せられていたりしています。そこから逆に、次のような感慨を新たにしました。こうした細かい切り分けと通常とは異なる意味づけをベースにした著作というのは(ある意味、哲学的著作というのはそういうものなのですが)、やはりどこか伝わりにくいものなのかもしれません。

 問題となっているのは、介護の事例を挙げて、「ふれる」が相互浸透的な作用なので、隣接領域(性行為などの)にも開かれてしまう可能性もあると指摘しているくだりです。「かくあるべし」という大上段の硬直的姿勢が著者による道徳の定義であり、ふれるという操作はそういう道徳には馴染まないものだというのが著者の議論です。その意味で「ふれる」は「非道徳」だと著者は指摘するのですが、読み手は通常の道徳の意味にとり、さらには非道徳を不道徳(普通の意味での)ととってしまう可能性があるということです。まさにこれは、思想書・哲学的考察につきまというある種の悩ましさです。