中国の思想的伝統と「美」

中国の伝統思想が導く、現象学的な生成の美学


 フランス在住の中国出身の詩人フランソワ・チェン。その著書『美についての五つの瞑想』(内山憲一訳、水声社、2020)を読んでみました。これはまさに良書ですね。まず、「美」とはなんぞや、という疑問に、正面から真摯に向き合う姿勢に、なにやらとても共感を覚えます。フランスを中心とする西欧の思想も引きながら、そこにチェンのバックグラウンドである中国の伝統的思想を突き合わせ、美というものが単に事物から析出されるのではなく、事物を目にする者の中に事物とともに立ち現れる、事物の本質的な「啓示」のようなものであることを説いています。

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 美を体現する最前線といえば、もちろん詩と絵画ということになります。チェンも同書で、中国の画論の伝統に言及しています。チェンは中国の画論の編纂なども手がけているようで、いくつか出ていますね。個人的に『気韻』("Souffle-Esprit. Textes théoriques chinois sur l'art pictural", Le Point – Éditions du Seuil, 1989-2006)を読み始めました(笑)。

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小説:『ビア・マーグス』

中世のビール職人の一生


 ギュンター・テメス『ビア・マーグス——ビールに魅せられた修道士』(森本智子・遠山明子訳、サウザンブックス、2021)をざっと読んでみました。舞台は13世紀後半のドイツ北西部。ビール造りがしたくて修道士になった少年の、その後の波乱の人生を描いたビルドゥングスロマンです。修道院時代のある諍いが、その後還俗してからも長く尾を引くところなどがストーリーの軸線になっています。実在した人物たちも物語に登場したりして、なかなか面白いですが、小説としては割とあっさりしているというか、軽めの口当たりというところでしょうか。とくに主人公が還俗したあとの後半は、ところどころ、歴史書とプロットをそのまま読んでいるような気分になったりします((^0^))。逆にビール造りに関する描写などは細かく、そのあたりがとても興味深いです。季節的にもぴったりで、一杯やりたくなりますね。

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書籍:『土とワイン』

土壌からのワインへのアプローチ


 アリス・ファイアリング、パスカリーヌ・ルペルティエ『土とワイン——土壌が教える自然ワインと造り手たち』(村松静枝訳、小口高・鹿取みゆき監修、エクス・ナレッジ、2019)にざっと眼を通しました。土壌がワインに与える影響についての本なのかな、と思って見始めたのですが、そうではなく(科学的な本ではないことは序文冒頭に宣言されています)、むしろ土壌(の分類)に注目したかたちでのワイン産地のガイド本、あるいはエッセイ本という体裁です。

 考えてみると、ヨーロッパの土壌の分布については、個人的にあまり知りませんでした。その意味で、これは刺激的な一冊でもあります。ワインそのものと土壌の関係性は科学的には立証されていないとのことですが、普通に考えて、ブドウの生育と土壌に関係がないわけはありませんから、こういう土壌をベースにしたアプローチも一概に否定はできないかも、という印象です。

 百科事典を書くつもりはなかった、と巻末に著者が記していますが、これは一種の産地別のガイド本と言えそうなので、できれば索引はもっと充実させてほしかったですね。あと、やはり科学的な知見もある程度体系的にまとめてほしいところでしょうか。

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書籍:『旅ごころはリュートに乗って』

巧みな地雷回避と中世への旅


 星野博美『旅ごころはリュートに乗って——歌がみちびく中世巡礼』(平凡社、2021)を読了しました。「リュート本?」と思ったので見てみたのですが、これはむしろ触発を扱った本、という感じでした。リュートがきっかけとなり、「モンセラートの朱い本」「聖母マリアのカンティガ集」をめぐり、それらから触発されて、歴史的な旅へと出立する……そういう趣向で、とても楽しく読めます。

 この、リュートをあくまできっかけとして使うというところがミソで、おそらくはノンフィクション作家の勘とでもいうのでしょう、リュートやビウエラを扱ったエッセイがついつい踏んでしまう地雷を(リュート界隈は、ある種の狭い特殊な世界なので、うるさがたが多く、下手なことをろくに調べずに書くと、いろいろなところから総つっこみされてしまいます(笑))、巧みに回避しているところがすごいですね。

 タブラチュアが残っている曲だけ弾く、というある種の制約から、リュートを解放しよう、というのは、個人的にも、とくに最近は、諸手を挙げて賛同したいです。

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書籍:『武器を持たないチョウの戦い方』

「人間の視点」がバイアスになるとき


 竹内剛『武器をもたないチョウの戦い方——ライバルの見えない世界で』(京都大学学術出版会、2021)を読了しました。チョウの研究者の体験記をまとめたものですが、これがめっぽう面白いです。著者はチョウの専門家で、一般に縄張り行動として理解されているチョウの雄同士の飛翔行為が、もしかするとそういうものではまったくないのでは、という新しい説を唱えています。その説にいたる経緯や、そこから後の学界での認知をめぐる闘いなど、研究者としての半生を振り返る感じですね。

 「人間の視点」で物事を考える姿勢がバイアスになって、真実が見えなくなっているのではないかという指摘が、とても印象的です。

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