数学的な「美しさ」の功罪?

現場からの「科学哲学」の声


 ザビーネ・ホッセンフェルダー『数学に魅せられて、科学を見失う――物理学と「美しさ」の罠』(吉田三知世訳、みすず書房、2021)を読んでみました。著者も理論物理学の研究者ですが、同書そのものはいわゆる科学哲学・科学社会学の本になっています。

 というのも、同書がするどく問うているのは、物理学の最前線が妙に行き詰まっている現状(そのこと自体も、一般向けに取り上げられるのは少ない気がしますが)だからです。著者は、副題にあるように、実験で検証されなていない理論が、数学的な「美しさ」への惑溺のせいで幅を利かせてしまうことに、ある種の危機感を募らせています。

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 数学的な美というのは、ある種の対称性やシンプルさなどだったりするようです。いずれにしても、なんらかの美的判断が科学者のコミュニティにおいて広く共有され、理論を根底から批判するような目を曇らせるのではないか、というわけですね。著者もコミュニティ内部の人なのですが、どこか覚めた目をもって、そうしたコミュニティから外へと、身をよじって鎖を振りほどこうとする姿勢が見てとれます。

 物理学のような高度に精緻化してしまった学問分野では(ほかの分野もそうかもしれませんが)、もはやその内部事情をよく知っていながら、同時にそこから外に向かう開かれたスタンスをもつような人でないと、的確な批判的議論はできないのかもしれません。だとすると、完全に外から眺めるしかない哲学のような学問には、もはやまったく足がかりになれるような部分はないのでしょうか。そうとも限らない、と、同書の著者も少しばかり、そうした批判的言説の一般化の可能性を示唆しているように思われます。