動物の意識という難問

外から見つめることの制約と、制約ゆえの豊かさ


 どんなものかはともかく、動物にも意識のようなものがあるはずだと考えられてから久しいわけですが、人間がそれについて論じるにはそうした「意識」のようなものを外部から推し量る意外になく、そうするために生み出されてきた様々なアイデア、方法論の数々などは、当然ながら枚挙にいとまがないほどでしょう。そのあたりの見取り図になっていないかなと思い、『動物意識の誕生(上下)』(シモーナ・ギンズバーグ。エヴァ・ヤブロンカ著、鈴木大地訳、勁草書房、2021)にざっくり目を通してみました。で、結論から言うと、もちろん門外漢なので、個々の詳しい議論はとうてい手に負えませんが、大まかな見取り図にはなっていて、その意味で有益・示唆的な書籍でした。

 むしろここでは、外部からの観察という、当事者になりえない制約があるせいで、むしろ各種のアイデア、方法論、スタンスを構築できる余地も生まれてきた、という気がします。そのことは、同書があつかう問題ともパラレルかもしれない、などと思ったりもしました。

 動物の意識の成立問題について著者らが着目するのは、個別の動物に見いだせる「学習機能」の程度・深度です。学習機能といえば、古くは条件反射の理論などがありました。そうした学習機能は、さらに制約つきの連合学習、そしてその先に広がる無制約の連合学習機能へと理論的にも拡張されています。なんだかこのあたり、どういった反応がどの機能に含まれるのかといった、分類上の問題も出てきそうですね。この分類項の立て方も、強化学習、教師付学習、教師無し学習(深層学習)とった、エンジニアリング的な発想が下敷きになっているような感じがします。

 大まかなところでは、3つめの無制約の学習機能こそが、意識の成立と関わっていそうだ、とされ、その話が主軸として展開していきます。著者らによれば、この無制約の連合学習は、脊椎動物、節足動物、軟体動物の一部(頭足類など)に限定されるのだとか。カンブリア期の生物の爆発的増殖との絡みも論じられていて、このあたり、興味はつきません。

 制約ありの学習から制約なしへと移行するには、なんらかのギアチェンジが必要なのだろうと思われますが、それが具体的に何なのかははっきりとはしません。というか、それは複合的なプロセスなのだろうなということが示唆されます。そしてまた、制約なしの段階の豊かさを育んだのは、制約ありの段階にほかならない、というふうに見ることもできそうです。一般化して取り出すのは難しいですが、「制約と豊穣」は、なにやらとても面白そうな、深遠なテーマのように思えてきます。

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