ブリュノ・ラトゥール

現場主義?


 今週の始めに、ブリュノ・ラトゥールの訃報を目にしました。英語圏で名が知れていたせいもあって、「ブルーノ」表記のほうがいまだに一般的かとも思うのですが、最近はようやくブリュノ表記もそれなりに目にするようになりました。今やアクターズ・ネットワーク理論で有名なラトゥールですが、初期の構築主義的な科学論・科学技術論も、それらの政治性を、言葉は悪いですが、あけすけに論じるという、なかなかスリリングで興味深いものでした。もちろん、やや大げさで、断言口調の書きっぷりゆえに、ソーカル=ブリクモンあたりから、あるいは科学者たちから叩かれたりもしたわけですが、現場主義的なスタンスで、科学や技術が社会的に成立する場面・瞬間にまで降りていこうとする徹底ぶりは、とても面白く感じました。未邦訳ですが、頓挫した交通システムを文献など駆使して後追いしていく、『アラミス、あるいは技術への愛』(Aramis ou l'Amour des techniques, La Découverte, 1992)などはとても好きでしたね。

https://www.editionsladecouverte.fr/aramis_ou_l_amour_des_techniques-9782707121202

 その後のアクターズ・ネットワーク理論への萌芽というか布石というかも、随所に見られたように思われます。そのあたりの展開とか、あるいはラトゥール思想の総括とか、まとめてくれる人などもこれから出てくるでしょう。個人的にも読み返したい、大御所の一人です。合掌。