「古楽趣味」カテゴリーアーカイブ

corpus hermeticumよりーー音楽の喩え 2 – 3

Les Belles Lettres版の解説では、このヘルメス選集(C. H)のXVIII章は、「王」(ディオクレティアヌスとその取り巻き)を讃える演説(300年ごろの)の寄せ集めだとされる。しかも実際に発話された演説だという確証もない、と。ヘルメスとその弟子たちのとの関係のない、いわば偽論文であって、C.Hに収録されたのは編纂者の無知によるのでは、とのこと。編纂者は何かこういう「無意味な戯文」に魅せられたのだろうという。

また、この第二節の欠落を含む部分は、音楽で「競い合う」(ἐναγωνίζεσθαι)という場合の、コンクールでのパフォーマンスの順番が反映されているのだとか。ラッパがまず最初に吹かれ、伝令の声、叙情詩の朗読、詩人による朗誦などが続いた後、笛の出番となり、次にキタラ(琴)演奏、そしてキタラの弾き語りが繰り広げられ、これが演奏のハイライトとなるという。

2. 音楽であたう限り競い合いたいと思う巧者にとって、まずはラッパ吹きがそのスキルを誇示しようとし、次いで笛吹きが叙情的な楽器でメロディの甘美さを味わわせ、葦笛やプレクトラムが歌の拍子を決め(……欠落……)、原因が帰される先は演奏者の息ではなく、より高次の存在でもないが、その者自身にはしかるべき敬意を払い、楽器については弱点を非難するのである。なぜならそれがこの上なき美を阻み、奏者の歌を妨げ、聴衆から甘美な調べを奪うからだ。

3. 同じように、私たちについて、肉体的な弱さがあるからといって、観衆の中に、私たち人類を冒瀆的に非難する者など一人もあってはならず、むしろ神が疲れを知らぬ気息であること、つねにみずからに固有の学知との繋がりをもち、途切れることなく幸福感に溢れ、つねに変わらないその善き行いをあらゆることに用いることを認識しなくてはならない。

アルヴォ・ペルトにハマる

ペルト:フラトレス(兄弟)/フェスティーナ・レンテ/スンマフランスあたりだと夏至は音楽祭なんかをやったりするので、こちらもそれにあやかって、少し遅ればせだが今日は久々の音楽ネタ。個人的にこのところハマっているのがアルヴォ・ペルト(1935〜、エストニアの現代作曲家)。これがなかなか味わい深い。基本的には同一音型の反復を多用するミニマル・ミュージックなのだが、バロックもののような音型の多用とか、対位法的な作り方、落ち着いたテンポなどなど、どこか懐かしい包容力のある音楽という感じがする。宗教曲はもちろん、それに限らず全体的に、どこかコズミックなイメージを喚起する。というわけで、CDもいくつか集中的に買ってみた。たとえば室内楽『ペルト:フラトレス(兄弟)/フェスティーナ・レンテ/スンマ』(8.553750)。古楽アンサンブル用の楽曲ながら、みずからいろいろな編成用にアレンジしているのだそうで、ナクソスのCDでは77年のオリジナル(管楽八重奏と打楽器のための)から92年版(ヴァイオリンと弦楽、打楽器のための)までが入っている。さらに78年の「スンマ」や88年の「フェスティナ・レンテ」も収録されている。

Part: Tintinnabuliペルトは70年代以降の自作の様式をティンティナブリと呼んでいるのだそうだが、ちょうどタリス・スコラーズが新譜『ティンティナブリ(Part: Tintinnabuli)』(CDGIM 049)でペルトを取り上げている。声楽でもそのミニマル感は残っているし、さらにいっそうコズミックな響きを連想させる。今年の「ラ・フォル・ジュルネ」でも演目として取り上げられていた82年の『ヨハネ受難曲(Passio Domini Nostri Jesu Christi Secundum Joannem)』(8.555860)も同様に秀逸。こちらはトヌス・ペルグリヌスによる演奏。そして極めつけの『鏡の中の鏡‾ペルト作品集(SACD)(Arvo Part:Spiegel im Spiegel)』(8847)。1978年の作品で、このSACDではヴァイオリン&ピアノ、ヴィオラ&ピアノ、チェロ&ピアノの3バージョンが収録されている。美しい旋律の繰り返しが、どちらが主旋律でどちらが伴奏なのか判然としないまま、微妙に交錯したまま並走していく。なんとも絶妙(NHK FMの「きらクラ!」でも昨年何度か取り上げられていた)。YouTubeでは、田舎の雪景色を走る列車の車窓の映像と合わせたもの(下参照)とかが出ていたりする。これもいいけれど、個人的にはやはり新緑のころ、あるいは晩夏ごろの田舎の山道を走るバスの車窓の眺めへのBGMにしてみたい、と思ったり(笑)。

Passio Domini Nostri Jesu Christi Secundum Joannem

鏡の中の鏡‾ペルト作品集(SACD)(Arvo Part:Spiegel im Spiegel)

偽プルタルコスの音楽史

Moralia, Volume XIV: That Epicurus Actually Makes a Pleasant Life Impossible. Reply to Colotes in Defence of the Other Philosophers. Is 偽プルタルコスの『音楽について』を、Loeb版(Moralia, Volume XIV: That Epicurus Actually Makes a Pleasant Life Impossible. Reply to Colotes in Defence of the Other Philosophers. Is “Live Unknown” a Wise Precept? On Music (Loeb Classical Library))で一通り読んでみた。これもなかなか面白い。音楽に詳しい二人の人物が、招かれた食事の席で音楽史というかその来歴について蕩々と語るというもの。最初に話をするリュシアスは、音楽がキタラに合わせて唄うことから始まったとし、ゼウスとアンティオペの子、アンピオンを開祖としている。神話世界からの連続的な歴史記述が面白いが、その中でも笛などの音楽よりもキタラのほうが古いと述べているのが印象的だ。笛も最初は伴奏用で、それから単独で演奏されるようになったとされている。さらに、ドーリア、フリギア、リディアの各旋法も古くからあったとされ、時代が下るにつれていくつかのノモスが確立されていくと説明される。ギリシア音階のエンハーモニーの考案者はアリストクセノス(前四世紀:最初の音楽理論家ともされる)だといい、リズム形式についてはテルパンドロス(前七世紀:四弦キタラを七弦にした人物でもある)が革新的だ、などと述べている。で、それに続いて今度は、ソーテリコスが語り始める。そちらは古代の人々と近代(というか同時代の)人々との対比を取り上げ、ミクソリディア旋法などの台頭について述べてみせる。詩人たちが悲劇を伴奏するようになっても、なかなかあえて半音階を用いることはなかったが、それは「近年」になって用いられるようになってきた、という(キタラの音楽ははじめから半音階が用いられていたとされたりする)。一方でリズムに関しては古代のほうが複雑だったという。そこから今度は和声法的な話になり、数比の話などが出てくる。戦と音楽、テルパンドロス(再び!)の革新性、ヒポリディア旋法の考案(ポリュムネストスとされる)、熱狂的叙情詩(ヘルモネのラソス)、音楽教育の基本、理論の発展、音楽療法など、様々な細かい話題が続いていく。

『音楽について』はプルタルコス『モラリア』の末尾を飾るテキストだが、これはプルタルコスのものではないという説が有力とされていて、おそらくは13世紀のビザンツの学者マクシモス・プラヌーデースが『モラリア』の文書群に入れたものでは、と言われている。アンジェロ・メリアーニ「カルロ・バルグリオのラテン語訳プルタルコス『音楽について』へのノート」(Angelo Meriani, Appunti sul De musica di Plutarco tradotto in latino da Carlo Valgulio, in Ecos de Plutarco en Europa. De fortuna Plutarchi studia selecta, ed. Aguilar & Alfageme, Sociedad Española de Plutarquistas, 2006)(PDFはこちら←注意:このPDFは2ページ目以降が上下逆になっているので要編集)という論考によれば、一六世紀に再発見された際、すでにエラスムスや仏語訳を手がけたジャック・アミヨなどが、文体的な違いをもとに、プルタルコスを著者とする説に疑念を表明しているという(音楽理論家でリュート奏者でもあったヴィンチェンツォ・ガリレイも同調しているのだとか)。同論考では、このテキストには同時代への言及などが盛んにあって、しかも明確にアナクロニックな部分もあることから、後の時代に舞台となった時代を思い描いて記された文章なのだろうとしている。同論考はさらにその一六世紀の受容について、上のガリレイや彼がもとにしたバルグリオのラテン語訳について追っている。

伊福部音楽祭とゴジラ本

リュート属の楽器を弾く伊福部昭(パンフレットから)
リュート属の楽器を弾く伊福部昭(パンフレットから)
ちょうど老親がショートステイに行っていることもあって、この日曜、久々の息抜きに「第四回伊福部昭音楽祭」というイベントに行ってきた。なんだか一足早い夏休みモードだ。伊福部生誕100周年と、ゴジラ誕生60周年のいわば合同イベント。目玉は後半の、1954年版『ゴジラ』にオケの生演奏を付けるという出し物だけれど、むしろ個人的には前半が楽しみだった。というのも「日本狂詩曲」「シンフォニア・タプカーラ」の生演奏だったから。「日本狂詩曲」は「校訂版」の初演なのだそうで、確かにテンポ設定などがCDなどで聴くものと違っている(全体的に速くなっている)感じで、あの踊り狂う感じがいや増している。踊り狂う感じといえばむしろ「シンフォニア・タプカーラ」のほうが圧倒的というのが従来の印象だけれど、今回は「狂詩曲」のほうが爆発的だったせいか、「タプカーラ」の演奏は逆に少し抑制されているようにも思えた(笑)。とはいえ、クライマックスはやはり大いに盛り上がる。

後半の生演奏版『ゴジラ』は、まずもってトーキー映画に生オケという組み合わせの意外性が興味をそそった。無声映画での生演奏は結構ある(昔見た映画版『ばらの騎士』の生オケ伴奏って、たしか会場が今回と同じオペラシティのホールだったような気がする)けれども、トーキー以後のものはそんなにはないと思う。セリフや効果音はそのままに、伴奏の伊福部音楽だけを抜いて、そこに生演奏を加えるというわけなのだけれど、試みとしてはなかなか面白いものの、途中まではオケのほうに注意が行っていたものの、次第に映画そのものに見入ってしまい(オリジナル版『ゴジラ』は3月にCSチャンネルで数十年ぶりに見たものの、やはり何度見てもそれなりに作品に入り込んじゃう)、そうなると生演奏かどうかということはまったくどうでもよくなってしまう(笑)。その意味で、この試みは成功していたのかどうか……(苦笑)。ちなみに和田薫指揮、オケは東京フィルハーモニー交響楽団。

神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫 2243)いやいや、でもこの企画そのものは大成功だったと思う。前半も後半も評論家の片山杜秀氏によるトークが入り、特に後半ではオリジナル版の主演だった宝田明氏が登場。その宝田氏、ゴジラという存在を、地獄・煉獄・天国のすべてを含み持ったような存在として、ダンテの『神曲』になぞらえていたのがとても印象的だった。ちょうど原基晶氏の新訳が続々と刊行中であるだけに(『神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫 2243)』が出た模様)、意外なところでダンテの『神曲』が出たことに、個人的に盛り上がる(笑)。そういえば片山氏がパーソナリティを務めるFMの「クラシックの迷宮」では、4月末と5月末(伊福部昭の誕生日だ)に伊福部特集を組んでいた。「協奏風狂詩曲」「ヴァイオリン協奏曲2番」「ラウダ・コンチェルタータ」などを放送していたと思う。さらに同じくFMの5月の「吹奏楽のひびき」でも、「吉志舞」「ブーレスク風ロンド」(ゴジラ映画で自衛隊登場時に流れるあの音型のもと)などを放送していた。

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)さて、ゴジラといえば、小野俊太郎『ゴジラの精神史 (フィギュール彩)』(彩流社、2014)もお薦めしておこう。かつて『モスラの精神史』で、その映画世界を支えていた多層的な文化リソースの数々を浮かび上がらせた同著者による、まさにベストタイミングでのゴジラ論だ。複合的な作品としてゴジラを見直すための、とても有益なガイドになっている。ゴジラ関連の著書というのは先行文献が多々あるので、著者も述べているように相当に書きにくい題材なのだろうと思うけれど(筆致にもそれが現れているように見える)、それでもいろいろと腑に落ちる話が満載だ。たとえばオリジナル版『ゴジラ』で、民間のサルベージ会社に務める主人公が沿岸警備の船に乗り込むなんて、今では考えられないようなシチュエーションだけれど、54年当時、サルベージ会社は公的機関からの委託を受けて、沈没船の撤去や港湾の浚渫に関わり、戦後復興に貢献していたことが反映しているのだという(p.41)。あるいは伊福部との関連では、たとえば上の「吉志舞」が、古代の歌謡や舞の伝統にどう連なるかなどが取り上げられている(p.136)。

「ジョングルール」の社会的認知

ジョングルールというと、当然ながら一般に音楽史において取り上げられる話題だけれど、これを職業としての確立という側面からアプローチしようという論考があったので、ざっと読んでみた。ネイサン・ダニエルズ「ジョングルールからミンストレルへ:一三世紀および一四世紀のパリにおける世俗音楽家の専門職化」(Nathan A. Daniels, From Jongleur to Minstrel: The Professionalization of Secular Musicians in Thirteenth-and Fourteenth-Century Paris, 2011)というもの。とりあえずメモ。全体は三部構成になっていて、第一部では世俗の音楽家に対する知識階級の評価の変化を追い、第二部では租税台帳から音楽家たちの社会状況を検討し、第三部でミンストレルのギルド化についてまとめている。どのセクションもなかなか興味深い話になっている。とくに個人的に惹かれるのは第一部。長らく教会は世俗音楽をまるで評価せず、ジョングルール(音楽家と芸人の両方の意味があった)などは救済の対象にならないとして悪徳の烙印を押してきた。とくに大道芸などでの身体の異様な使い方が、正常の動きに反するとして忌み嫌われていたようだ。ところが一三世紀になったあたりから、たとえばパリの神学者ペトルス・カントールとその一派などが、「officium」(務め)という側面を評価しはじめる。ジョングルールたちのもつスキルが「civitas」(社会)にとって有用であるという限りにおいて、ジョングルールたちは再評価の対象になっていく。トマス・アクィナスなどもそうした再評価に一役買っているという。またそうした変化には、大道芸の不自然な身体の動きから、音楽的パフォーマンスの面へと、論じる側の重点がシフトしていったという事情も絡んでいたらしい。1300年ごろにはグロケイオの『音楽論』(De Musica)が発表されるが、そこではある種の音楽がモラルや情動面のスタビライザーになりえ、全体として社会に貢献するといった議論が展開する。ちなみにグロケイオの同書は壮大な訳注と解説がついた邦訳がある(皆川達夫ほか監修、春秋社、2001)。あまりちゃんと覚えていないが、確かこの書は、器楽曲のところでビウエラについて言及したりしていたはず。

租税台帳をもとに、一三世紀前半にはあったという「ジョングルール通り」(現在のランビュトー通り:ポンピドゥ・センターの北側あたり)の住民の状況を読み取ろうという第二部も興味深い。その通りは音楽家たちばかりか、様々なスキルをもった人々が集まっていたといい、とはいえ音楽家たちはほかに比べて定着率が高く、やがてそれがミンストレルのギルドの母体となっていき、最終的に職業集団として公認されるようになっていくというわけだ。