「selection」カテゴリーアーカイブ

ブリュノ・デュモンの『ジャンヌ』

先月後半の第76回カンヌ映画祭の二週間、wowowでは特集として近年の受賞作を放映していました。ほとんどが2年前の第74回のもので、とりあえず、レオス・カラックスの『アネット』、ヨアキム・トリアーの『私は最悪。』、パルムドールに輝いたデュクルノーの問題作(?)『TITANE/チタン』などを観ました。うーん、どれもどこか小粒な感がいなめません。どうもこの年の傾向として、ある種の「変な」登場人物たちが、周りを巻き込んでいくという感じのものが多かった印象ですね。そういえばもう一つの問題作(?)『LAMB/ラム』も第74回の「ある視点」部門で賞を取ったのでした。

でも、それらよりも個人的に引き込まれたのは、第72回の「ある視点」部門でスペシャル・メンション(特別賞みたいなもの)を獲得した、ブリュノ・デュモン監督作品の『ジャンヌ』です。

ジャンヌ・ダルクを描く作品ですが、これはある意味すごいものを観たという気になりました。長回しの多用、独特の人物描写(動きの少ない登場人物たち、本筋とは一見関係ないかのような人物紹介を長々としていくシーケンスなど)、一風変わった場面構成(砂地で繰り広げられる会話)や独特なシーンの切り取り(戦闘シーンなどはありません)、俯瞰的な角度からのショット(それが実に効果的です)、などなど、どれも実に計算された画面です。そう、どこか昔のロベール・ブレッソンの映画を彷彿とさせます。

https://www.imdb.com/title/tt8669356/

そしてなによりも音楽!ジャンヌの心情を表すオフの声などを、歌にして流すという斬新な手法ですね。ジャンヌを演じたリズ・ルプラ・プリュドムの、どこか憂いをたたえたまなざしも、とてもいいですね。

この作品は二部構成の第二部で、第一部の幼いころのジャンヌを、このリズが演じています。第一部では後半、別の女優さんがジャンヌを演じるのですが、第二部はリズが再びジャンヌを演じるというかたちになっています。第一部のほうは、全編、複合ジャンル的(ロックからバロック、アラブ系音楽まで)音楽劇という野心的な試みになっていますが、ちょっと動きが単調というか、あまり成功している感じがしませんでした。むしろこの、心理劇的に深みの出たこの第二部こそが、すべてを補ってあまりある、という感じです。

ジャンヌ・ダルクを描いた作品は、カール・ドライヤーのものからジャック・リベットの映画、さらには活劇に特化したリュック・ベッソンものまで、いろいろ観てきましたが、このブリュノ・デュモンの一本は、まだこんなことができるのかと、とても納得した作品でした。

(初出:deltographos.com 2023年6月7日)

【書籍】ブルシット・ジョブ

資本主義の命運


 連休中に、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史訳、岩波書店、2020)を読んでみました。著者はこの邦訳が出てまもなく急逝してしまいました。世の中の役に立っていないと当事者本人が蔑むような仕事、ほとんど何のためにあるのかわからないように思える仕事が、世の中にますますあふれかえるようになったのは、実は資本主義が抱える構造的なひずみ、その当然の帰結にほかならなかった、と著者グレーバーは喝破してみせます。まさに慧眼ですね。

 ひずみというのはつまり、経営者層と労働者側との圧倒的な格差にほかなりません。前者は、著者言うところの「経営封建制度」によって守られ、自由市場という幻想の裏で権力などと結託して財をなします(かつて、やはり急逝したベルナール・マリスなども、自由な市場というものはまったく存在していないのだと説いていたのを思い出します)。

 一方の後者は、中世の神学的議論を個々人に移し替えた北ヨーロッパの思想的伝統(プロテスタンティズムがその中心ですが、思想そのものはそのかなり前、中世のころからありました)ゆえにか、人は労働しなければならないという教えをたたき込まれ、多様な価値を奉じるどころか、単一の金銭的価値(労働価値)だけの奴隷のようになって、つまらない、無意味だと自身が感じる仕事に精を出すことになるという次第です。

 その両者を支えているのは、同じ資本主義経済のイデオロギー(名ばかりの効率の偏重、生産者主義から消費主義への流れなど)であり、やはり経済学の理論がそれを強化している(人間の複合的な動機を、あえて計算機械のように単純化してしまうことなど)ということになります。

 ここから抜け出す方途はあるのでしょうか。生活と労働とを切り離すための手段として、ベーシックインカムの議論を取り上げたりもしていますが、どこか懐疑的な扱いでもあるように思えます。グレーバーはあくまで、現状認識を変えるための批評として同書を著しているのだと強調しています。ここでもまた、従来のものとは別様の数量化、データ化がキーになるような気もします。ベンサムの功利主義などを、拡張するようなことはできないものかしら、などなど。

 (初出:deltographos.com 2021年5月8日)

Early Greek Philisophy VIII

第8巻はソフィスト(パート1)、ソクラテスも


 Loebの初期ギリシア哲学シリーズ。第8巻はソフィストたちのパート1。プロタゴラス、ゴルギアスといった、プラトンの対話編に登場する人々が取り上げられるほか、ソクラテスも入っています。これがちょっと興味深い点ですね。そのほかにプロディコス、トラシュマコス、ヒッピアス。

 分量的に多く割かれているのはプロタゴラスとゴルギアス。プロタゴラスといえば、やはり「人間は万物の尺度である」という発言が有名です。認識の相対性について述べている、なんて解説されますが、むしろこれは、人間あってこその事物という見方のようで、プロタゴラスは事物の流体的な面と、それを感知する感覚の移り変わりなどを強調していたのかもしれません。セクストス・エンペイリコスなどがそういう感じで解釈していますね。ゴルギアスはまさにレトリックの人という印象を与えます。

https://amzn.to/45qdw5E

(初出:deltographos.com 2021年10月8日)

権威って何?という一冊

手堅く各種の文献をまとめた一冊


 ミリアム・ルヴォー・ダロンヌ『はじまりの権力——権威についての詩論』(Myriam Revault d'Allonnes, “Le Pouvoir des commencements. Essai sur l'autorité”, Seuil, 2006)のKindle版(https://amzn.to/3FF7UaB)を、このところ読んでいました。年越し本になるかな、と思っていましたが、年内に読み切れました(笑)。 

 一言でいうと、長編の学術論文の見本みたいな一冊で、様々な文献を精読しながら、論を進めていきます。テーマはずばり「権威とは何?」で、初っぱなのあたりから、それが(空間に働きかけるる権力とは対照的に)時間に根ざし広がるものであることを示唆します。この仮説を検証していくのが同書、ということになります。

 ギリシアとの対比からローマ時代に「権威」が初めてテーマ化されることを、アーレントをもとに論じ、近代になって(神々などの)権威の「過去」の源泉が失われたことをルソーやトクヴィルで論じ、新たに権威の根拠として「未来」に目を向ける近代人の指向性を、ウェーバーで論じていきます。なかなか王道ですね。

 ここまでは、社会学的な側面からのアプローチでしたが、そこに、個人の指向性の向かう先としての権威と、制度としての権威のギャップという問題が出てきます(主体と客体、あるいは未来と過去との齟齬です)。それを扱うために、著者は次に現象学へと歩を進めていきます。しかしながらそのギャップは、どの現象学者でもなかなか十分には論じられません(と著者は指摘します)。フッサールしかり、メルロ=ポンティしかり、シュッツの社会現象学しかり。リクールなどの読みも今ひとつ。著者がいうように、果たして制度の問題は、思考が明確に及ばない情動的な外部、過剰、補遺なのでしょうか。著者はそこに、生きる主体がまとう「歴史性」を重ねています。

 

(初出:deltographos.com 2021年12月30日)

聴く読書も悪くない

kindleで聴くカミュとか


 実に久しぶりに(学生時代以来ですかね)、カミュを再読してみました。再読というか、今回はkindleの読み上げ機能(Fireタブレット上)で、フランス語版の朗読(と言っていいの微妙かもしれません)を聴いてみました。コロナ禍で人気が出たという『La peste』です。ずっと昔に日本語で読んだことがあります。たぶん新潮文庫。今回、仏語で聴いてみて、その詩的ながらジャーナリスティックで淡々とした文体が、音声での読み上げに妙に映えることを改めて感じました。これは個人的には収穫です。

 https://amzn.to/3KKmb9a

 この仏語版は通常の購入ですが、最近、kindle unlimited(図書館で借りる、みたいな感覚ですが)の冊数制限が20冊までに拡大したので、そちらも一気に利用が進んでいます。少しだけ仏語版もあったりしますが、日本語ものが大半。日本語で読むにしても、kindle unlimitedの文芸作品は古典もの(の翻訳とか)が大半で、いきおい中学生の本棚みたいになってしまいます(苦笑)。で、19世紀から20世紀前半くらいまでの小説などは、今読むとその描写のねちっこさなどが鼻につくし、眼にもきついので、ついつい飛ばし読み的になってしまいます。音声で聴くなら、少しゆっくりできる感じになります。

 そんなわけで、聴く読書というのも悪くないかもしれません。ちょうどAmazonのaudibleのサービスが聴き放題になるみたいですし、ラインアップさえ充実してくれるなら、そちらも一考の価値があるかもしれません。

(初出:deltographos.com 2022年1月26日)