とり・みきの中短編を読む

kindle unlimitedに入っていたので、とり・みき氏の中短編集を3冊、まとめて読んでみました。『山の声』『パシパエ—の宴』『トマソンの罠』です。

お恥ずかしいのですが、とり・みき氏の名前は『プリニウス』の共著者として初めて知りました。今回、これらの中短編集を読んでみて、変幻自在の作風をもつ方なのだなあ、と認識しました。下ネタのナンセンスギャグから、諸星大二郎を彷彿とさせる民俗学的な伝奇ホラー、ファンタジックなSFまで、多彩な作品が収録されています。

ほかの過去作も、読んでいきたいと思いますね。

相分離生物学とな?

「あいだ」への着目、再び


ときおり、なじみの薄い分野の本も読んでみたくなります。というわけで、今回は『相分離生物学の冒険——分子の「あいだ」に生命は宿る』(白木賢太朗、みずず書房、2023)を読んでみました。一般向けの本なのでしょうけれど、用語とか概念とか難しいです。でも、全体を貫く考え方には共鳴できるところがあります。

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相分離生物学とは聞き慣れない名称ですが、分子そのものではなく、分子相互の作用、いわば分子同士の「あいだ」に着目するというとても新しい、最前線の生命化学のようです。これの概要を紹介しようというのが、同書の趣旨なのでしょう。

で、面白いのは、最初のほうにある次のような指摘です。分子相互の関係というものは、極端に安定した状態にならずに、一時的な準安定の状態で推移したときにこそ、定常的な構造が現れるのだ、というのですね。安定した状態というのは、いわばゆで卵の状態です。で、生きた状態の卵は、あくまで準安定のまま推移するものだ、というわけなのです。著者は、古い卵のほうがプルとしたゆで卵になるのは、炭酸ガスが抜けてpHが上がるからだ、なんて読者サービス的な解説も加えています(笑)。相分離生物学的に考案した、ふわっとした卵がけご飯のレシピも紹介されています。

話は徐々にハードでコアな分子生物学の話になっていきます。実験と発想の転換とが繰り返されながら、学問的に深化していく様は、難しいですけれどスリリングでもあります。科学史的な読み物としても、とても興味深いものになっています。

ラトゥールの遺言

アクターネットワークの未来など


青土社の『現代思想』3月号(特集:ブルーノ・ラトゥール)に一通り目を通しました。昨年10月に逝去したことを受けての回顧的な特集ですが、すでにしてその全体像の最初の総括という感じになっています。

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前半はまさに総論というか、全体的総括が並んでいます。ラトゥール自身のインタビュー、グレアム・ハーマン、福島真人、檜垣立哉などによる総括などなど。英語圏でデビューが早かったため、当初はブルーノと英語表記さていたラトゥールは、その後にフランス系の現代思想やその前の科学認識論などの系譜が取り上げられるようになって、ブリュノの表記が増えてきた、なんてこまかいことが反復されていますね。で、中盤ではラトゥールのもちいる概念や、その思想史的な位置づけを振り返る論考が並んでいます。バシュラール、セールといったあたりからの流れ、さらにはタルドからの流れがまとめてられているあたり、なかなか印象的です。

アクターネットワーク理論(ANT)で広く知られるようになった感があるラトゥールですが、ANTそのものがラトゥールだけのものではないことも、何度も言及されています。ミシェル・セールあたりが、二項対立を脱臼させるべく第三項を説くのに対して、ラトゥールは二項対立の「あいだ」にハイブリットを多数想定することで、逆説的に(でも意図的に?)二項対立そのものをとことん突き詰めていく、という指摘もとても面白いです。

ANTは確かに、人間と人間以外のもののネットワークを詳細に記述していこうとするあたりで、タルドが理論に求めた微細な関係性のデータ化・可視化を、まさしく実現しようとしているような趣もありますね。でもANTは実践という点でどうなのか、微に入り細に入りすぎて、記述として「もたない」のでは、といった、前から感じている疑問は依然残ります。そのあたりの疑問解消にはまだまだ至っていないのが、多少もどかしい気もしています。

『異常【アノマリー】』

変格SF?


エルヴェ・ル・ティリエ(Hervé le Tillier)のゴンクール受賞作(2021)、『異常【アノマリー】』(加藤かおり訳、早川書房、2022)を読了しました。いや〜、これは面白い。ほとんどSFです。ただ、大下宇陀児がみずからの探偵小説を本格ならぬ変格と称したように、これはいわば「変格SF」になるのでしょう……か。

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ちょっとしたハードボイルドものを思わせる話から始まる本作は、その後、群像劇のようになっていきます。で、どの話にも飛行機が乱気流に巻き込まれた話が出てきます。それが結束点になっていくのだろうなと予想していると、どうやらそれが尋常ならぬ出来事らしかったことがわかってきます。

あんまり書くとネタバレっぽくなってしまいますが、連ドラの『マニフェスト』が、もっと違った話になったら、その可能性の一つとしてこれがあるかな、という感じでしょうか。「変格」だけに、本作の読ませどころは、なんといってもちりばめられた数々のパスティーシュだったり、ある種の思考実験だったり(ヴァーチャル理論とか神学論争とか、いろいろ出てきます)。

あらゆる現代小説はなんらかの思考実験でなくてはならない、と個人的には思っていますが、これは実に見事な思考実験になっていると思います。従来のゴンクール賞ものによくあった、とってもつまらない心理や情景の細部の描写などはなく、アメリカあたりのサスペンス小説の活劇的技法を大胆に取り込んだ作品になっていますね。フランスの文学賞も変わっていくのかな、という感じがします。個人的には大いに歓迎したいところです。

電柱鳥類学

電線に止まる鳥たち


 kindle unlimited入りの岩波科学ライブラリー、科学的な研究の要を、一般向けに手堅くまとめている感じで、なかなか良書がそろっている印象です。短時間で読み切れる分量なのも好印象ですね。若い人向けなのでしょうけれど、老いてからも楽しいです。

 というわけで、タイトルにつられて『電柱鳥類学』(三上修、2020)を読んでみました。

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 電線に止まる鳥たちの生態についての本ではあるのですが、その前提となる電柱や電線についての基礎知識がまとめてあって、なるほどと思うところしきりでした。日本で最初の電柱ができてから、まだ140年しかたっていない(コンクリ製のものは100年)のだそうですが、そこに鳥が巣をかけたり眠ったりするのも、動物的な営為のスパンで見ればごく短い期間でしかない、というのも改めて興味深いことです。今後電線の地中化とかが進めば、もうそれだけで鳥の行動もまた変化していくだろうというわけで、この電柱・電線と鳥の結びつきも、歴史的に限定された、きわめて貴重なものなのかも、という著者の思いに心打たれます。

 それにしてもやはり動物を扱う本は、その行動様式などのディテールが魅力的ですね。余談ですけれど、kindle unlimitedに上巻しか入っていない、ダーウィンの『種の起源』(渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫、2009)も、理論的・推論的な言及よりも、様々に紹介されるそれぞれの種の特徴・特性への言及が、とても興味深いです。ダーウィンの博識ぶりの一端を、味わう感じですね。

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