モノに宿る力とは……

秋山聰『聖遺物崇敬の心性史』(講談社選書メチエ、2009)を読み始める。とりあえず前半。教会の拡張政策と相まって拡がり、中世の民衆の信仰にまで根を下ろした聖遺物崇拝について多面的にまとめた好著。聖遺物崇拝の起源、史的展開、演出・造形的変遷などが章ごとにつづられている。第二章でアインハルトの奉遷記の内容が細かくまとめられているのが個人的には興味深かった。なるほどすでにシャルル・マーニュの時代に、聖遺物ブローカーのような存在が教会関係者を相手に商売を始めているわけか。アインハルトが、隠棲のために建立していた教会も、思わぬ聖遺物の数々の入手によって大幅に計画修正させられたという話も。時代が下って12世紀ごろの聖遺物容器が人前に出されて、華麗な装飾を施されるようになると、学識者たちが賛否両論の見解を示すというくだりも興味深い。「ほとんど唯一の神学的論考」とされるエヒテルナッハのテオフリートの論というのも紹介されている。天上世界での栄誉にあずかる聖人には、地上でも相応の栄誉をもって扱わなくてはならないという、そうした華美の礼賛論らしいけれど、これなどは原文を読んでみたい気もする(笑)。

とにかく、聖遺物崇敬が聖職者も民衆も巻き込んだ大きな社会動向となっていたことが様々な具体例から窺える。見た目には時に貧相だったりする聖遺物に、神の力が働く媒体を見るという民衆的想像力。古代からの伝統的な信仰が起源とか言われるけれど、いずれにしても、それってもしかして時代が下ってからのインペトゥス理論のような、ごく自然の力もまた媒体に宿る・温存されるといった考え方の、はるか源流の一つになっているのかもしれないという気もしてきた。うーむ、このあたり、ちょっと検討してみるのも悪くないかもしれない……。