「ポッペアの戴冠」

2008年のグラインドボーン音楽祭で上演された『ポッペアの戴冠』(モンテヴェルディ/L’incoronazione De Poppea: Carsen Haim / Age Of Enlightenment O De Niese CooteをDVDで数回に分けてと観た。「舞台映えする」と評価されるダニエル・ド・ニースが肉感的に転げ回っているのが印象的(笑)。また、従者たちが性別を入れ替えて演じているのが面白い。ミニマルな舞台美術で、でかい布一枚がいろいろな場面を構成したりもする。エイジ・オブ・エンライトンメント・オーケストラは小編成ながら味わい深く、歌もいい。カメラで人物がアップになったりするときに、演出の細やかさもよくわかる(舞台を生で見ている人はそこまでわからないんじゃないかしら?)。指揮のエマニュエル・アイムはチェンバロの弾き振りで、なかなか堂に入っている感じ。パフォーマンスは全体的に高水準のようで、舞台もとてもセクシャルかつ緊張感のある優れもの。だけれど、個人的にはやっぱり入っていけないっすねえ、この世界。

『ポッペアの戴冠』は2回ほど実演を観たこともあるのだけれど、毎回なんというか、ポッペアが脳天気に描かれるほど、その脳天気さゆえにもたらされる悲劇の部分がとても不条理に見えてくる。セネカを死に追いやった後で、ネロとの関係を阻むものがなくなったとはしゃぐ姿なんか、かなりのグロテスク。というか空恐ろしい。ポッペアが政治的な野心をもっているように描かれるのならまだしも、情念に素直にしたがうだけで、そのツケがすべて、ネロの冷徹さを通じてすべて周りの人々に押しつけられていくようにしか見えない……と。うーん、こういう人物造形とこういう筋立てで、いったい何を描こうというのか、モンテヴェルディ。そもそもの元の意図がよくわからない。まあ、これがルネサンスからバロック的な逸脱感への移行ということなのだと言われればそれまでだけれど……。

でもこのプロダクションでは、演出のロバート・カーセンはなにやら最後にちょっとした皮肉なエンディングめいたいものを用意している(ように思える。ホントか?)。そう、戴冠してハッピーらっぴーで終わり、じゃちょっとね。