ヘンリクスの個体化論

オリヴィやスコトゥスなどの13世紀以後のフランシスコ会系の論者を考える上で、少なからず重要なのがガン(ヘント)のヘンリクスらしい。例の山内志朗氏の『存在の一義性を求めて』でも、スコトゥスは「師事」したヘンリクスを批判的に乗り越えようとしているとしているし、先日のジョルジョ・ピニの論考でも、ヘンリクスは言葉が概念ではなく外界の事物を直に表す記号だとしている点はスコトゥスに通じるものもあるものの、一方では理解の様態と意味作用の様態との並行関係(理解の精度が増すほどに意味の精度も増すというもの)を主張し、その点でスコトゥスとは対立するのだという。なるほど、そのあたりも含めてヘンリクスについても多少囓っていく必要がありそうだ。

というわけで、早速マルタン・ピカヴェ「ガンのヘンリクスによる個体化」(Martin Pickavé, Henry of Ghent on Individuation, The Proceedings of the Society for Medieval Logic and Metaphysic, volume 5, 2005)という論考に目を通してみた。ヘンリクスによる個体化論は、『自由討論集』(Quodlibet)2巻の問題8や、5巻の問題8、11巻の問題1などに散見されるといい、特に2巻の問題8では、物質的形相においては質料(量のもとに置かれる)によって個体化がもたらされること、また非物質的形相(天使とか)においては神が作用因となって個体化がもたらされることを論じているという。ところが著者によると、これは「コインの表裏の片方」でしかないのだそうだ。というのは、5巻の問題8(と11巻の問題1)においては、それとは異なる、個別化の原理としての否定という別筋の議論が示唆されているからなのだそうで。個別化をもたらす原理は肯定的・実体的な関係ではなく、否定的なもの、内部からは多様化の可能性を取り除き、外部からは同一化の可能性を取り除くという否定的な作用にほかならないということらしい。うーん、これはちょっとよくわからない議論なのだけれど、著者によると、この二重の個体化論のそちら否定的側面は、あまり取り上げられてこなかったという。

ちなみにオンラインで入手できるヘンリクスのテキスト(とりあえずまとまっているのはこちら→Henry of Ghent Series)には、『自由討論集』の2巻はあるのだけれど、5巻や11巻はまだなく、残念ながらチェックすることができない(でも公開準備はしているのかな?)。その『自由討論集』2巻の問題8というのは、「神は二体の天使を実体のみによって区別しうるか」(Utrum posint fieri a Deo duo angeli solis substantialisbus distincti)というもので、「これは本質において分割不可能な単一のものが、どのように数の上で(個的に)複数をなしうるのかという問題だ」とした上で、ヘンリクスはアリストテレス『形而上学』12巻の「複数であるものは、すべて質料を有する」という一節を解釈し、アヴィセンナを引いて、質料はもとよりそれが従属する量(形相が規定する)によって分割可能なものであり、したがって物質的な形相は質料を有することによって複数化されることになる、としている。