旅する学生たち(アル・アンダルス編)

これまたイベリア半島に関する論考だけれど、今度はアル・アンダルスを扱ったものを見てみた。マリア・ルイーザ・アビラ「知識の探求:アンダルスの学者とその東方イスラム圏への旅」(María Luisa Ávila, The Search for Knowledge: Andalusi Scholars and their Travels to the Islamic East, Medieval Prosopography: History and Collective Biography, Vol.23, 2002)。アンダルス最古の伝記事典と目される書(Ibn Harith al-Khushaniによるもので、9世紀から10世紀の知的生活を知るための基本史料だという)をもとに、当時のアンダルスの学者たち(イスラム系)にとって東方のイスラム圏への旅がアカデミックキャリアの重要な一段階になっていたことを描き出そうとしている。当時はもちろん、バグダッドなどが学問的に栄えていた時代。そこでの高名な師匠のもとで学ぶことは学徒たちの憧れであり、やがてはその知識を持ち帰ることで学知の伝達・普及にも一役買うことになった、という次第。学徒たちが学問の中心地を目指すというのは、昔も今もそう違わないらしい。その伝記事典には、一度も東方に赴いていない者などの記録もあるそうなのだが、学問を志す者の多くはやはり東の地を目指し(メッカ巡礼も兼ねていた)、たいていは4年から7年程度を中東の地で過ごしていた(旅に要する時間も含めて)という。学徒が貿易商を兼ねるといったことも珍しくなかったようで、さらに長い滞在の場合には学究以外の目的に結びついている場合もあったとのことだけれど、モデルケースとしては、若いうちに地元で研鑽をつみ、それからコルドバやエルビラで修行し、そこから30歳くらいで東方への旅に出るというのが典型だったようだ。あまりに若いと、アカデミックトレーニングに習熟していないために高名な師匠にもつけず、知の伝達者にもなれないということだったらしい。

「イスラム対ユダヤ」という構図

このところ、フランスでイスラム過激派グループの問題が再浮上しているようだ(ユダヤ系の食料品店を襲撃したとして過激派グループが一斉摘発を受け、同グループがさらに別のテロも計画していたことが判明したのだとか)。フランス国内のイスラム教コミュニティは教徒全般の排斥に発展することを恐れ、一部の過激派の暴走にすぎないということを強調したりしている。一方のユダヤ人コミュニティも、反ユダヤ主義の再燃を恐れ、一部とはいえ逸脱行為は許せないと改めてアピールしているようで、治安問題に頭を痛めるフランス政府も、イスラムそのものと切り離した形での過激派の取締りを強化しようとしている。三者の思惑が微妙に絡まりあって、なにやらちょっと不穏な空気も感じられる気がするが(?)、こうした状況について歴史的背景からの見通しをよくしてくれそうな論考を読んでみた。デイヴィド・ナイレンバーグ(シカゴ大学)「イスラム・ユダヤ関係について、中世スペインは何を教えてくれるか?」(David Nirenberg, What Can Medieval Spain Teach Us about Muslim-Jewish Relations?, CCJR Journal, 2002)というもの。これは実に興味深い論考。

イスラム教とユダヤ教の対立という構図は、実は歴史的には一般に思われている以上に複雑で、たとえば中世イスラム世界においてユダヤ人は共存していたか敵対していたかという点などでは、歴史家の間でも一致を見ていないという。この問題に一石を投じるため、論文著者はあえて一種の迂回路を取り、中世スペイン(レコンキスタ期)でのイスラム・ユダヤの関係を再考する。で、著者は両者の関係性は、実は第三の項、つまりキリスト教徒の媒介を考えなくては理解できないとする。中世初期のイスラム世界においてもキリスト教コミュニティは大きな規模で存在していて、すでにしてキリスト教のユダヤ観がイスラム教に影響を与えていた経緯があるわけだけれど、さらにイベリア半島においてキリスト教が支配的な立場に立つようになると、その下で、イスラム教とユダヤ教がそれぞれのコミュニティの存続をかけた覇権争いをするようになり、キリスト教へとある種の媚びを示しながら、両者は互いに相手を非難するようになる、というのだ。キリスト教の利益やイデオロギーに媚び、イスラム教もユダヤ教も、もともとはキリスト教が抱いていたそれぞれ相手陣営の「悪しきイメージ」を互いに増幅させていく。どちらがよりいっそうキリストに近いかを競う、いわばチキンレースのような感じか。かくして中世スペインのイスラム教徒は、イスラムの伝統を逸脱し、マリアの処女性すら受け入れたりしているのだという(キリストは預言者として扱い、ユダヤ教徒はキリストの殺害者として糾弾する)。

三つめの項が介在することで敵対性が助長されるという構図を、著者は論文の最後の部分で敷衍しようとし、近現代史でも同じような動きが見られるとして、フランスや英国の植民地主義に言及している。イスラム教は近現代においても、植民地の権力の代理人として、またそれらにおもねる言葉を駆使しつつユダヤ教を攻撃してきた、というわけだ。このあたりはもしかすると異論とかもありうるのかもしれないが、いずれにしても、もしそうだとすれば、現行の過激派をめぐる対応の行方も、そうした動きの延長線上に見直すことができるかもしれない。

wikipedia (en)より、「ハイメ1世に許しを請うムーア人たち」(アルフォンソ10世の『聖母マリアのカンティガ集』から)。

オルド・ヴィルトゥートゥム

なんとあのビンゲンのヒルデガルトが、アヴィラの聖ヨハネ(16世紀)ともども、法王ベネディクト16世により10月7日に教会博士の称号を与えられたそうだ。教会博士というのは「時代に関係なく意義深くあり続ける神学的な教え」を示した人物に与えられる称号だということだけれど(こちらのサイト)、ヒルデガルトの多彩な活動はまさに時代を「越えている」。当然ながらその一つの事例として挙げられるのがヒルデガルトの音楽だ。というわけで、ヒルデガルトの作曲した「音楽劇」についての文章を眺めてみた。エッカード・シモン「ビンゲンのヒルデガルトとその音楽劇『オルド・ヴィルトゥートゥム』:学知の批判的レビューおよびいくつかの新提案」(Eckehard Simon, Hildegard of Bingen (1098–1179) and Her Music Drama Ordo virtutum: A critical review of the scholarship and some new suggestions, published online, 2011)というもの。題名通り、音楽劇『オルド・ヴィルトゥートゥム(諸徳の劇)』についての研究動向を多面的にレビューとしてまとめたもの。これはいろいろな意味で勉強になる(笑)。全体としては『中世ヨーロッパの歌』(高田康成訳、水声社)で知られるピーター・ドロンケの研究が下敷きになっている。

アレゴリー的に徳を表す登場人物たちによる、悪魔との戦いを描いた教訓劇のような体裁のこの音楽劇(オルドは当時、一般に音楽劇を指していた)は、ヒルデガルトが開いたルーペルツベルク修道院の聖別に際して上演されたものとも言われ、またそれに類する特別な機会にたびたび上演されたとも考えられるという。ヒルデガルトはこの作品が後世に残ることを望んだらしく、四線のネウマ譜で残しているのが珍しいのだそうだ。つまり、同時代の楽譜が線なしのネウマ譜として記されていたりするのに対し、ヒルデガルトの楽譜は珍しく音の高低や間隔がちゃんと解読できる、というわけだ(もちろんテンポなどは不明なわけだけれど……)。さらに、登場人物たちの心情や、どの人物に向けた歌かといったことも指示されているのだとか。この音楽劇のもとになったビジョンが、ヒルデガルトの有名な幻視を記した初の書『スキヴィアス』の第三巻に記されていて、それぞれの徳(「謙虚」「慈愛」「(神への)畏怖」「(天への)愛」「勝利」)はいずれも独自のきらびやかな衣装をまとって描かれおり、この音楽劇の上演に際してもそれに従ったとするなら、さぞカラフルできらびやかな舞台になっただろうという。実際、ヒルデガルトは修道女が歌う際の衣装の華やかさを皮肉る手紙を受け取っているそうで、それに対する反論の手紙もまた残っているのだとか。ほかにも現存する写本の話とか(リーゼンコデックスという主要な写本のほか、ブリテッシュ・ライブラリー所蔵の写本があり、こちらは16世紀のトリテミウスの手によるとされてきたという)、ヒルデガルトのひょっとしたら着想源だったかもしれないという復活祭の劇『墓への訪問(Visitatio Sepulchri)』の話など、いろいろ興味の尽きない話題が満載だ。

wikipedia (en) より、神からのインスピレーションを受けるヒルデガルトの図。『スキヴィアス』の挿絵

ジョルダーノ・ブルーノ

この数日、また雑用で田舎へ。で、今回のお供の一冊が岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学−−生の多様性へ』(月曜社、2012)。これも期待通りというか、滅法面白い。ブルーノといえばコペルニクスの地動説の擁護で有名だけれど、ほかにもいろいろ革新的な思想を綴っていることがわかる。同書はそうした多面的な思想の中身に光を当てた好著。紹介される議論は多岐にわたっていて、人間と動物、感情論、知性論、道徳論、芸術論……。そのいずれもが、オリエント的というか、生成流転のテーマの変奏で貫かれている、というのが同書のメインストリーム。個人的にとりわけ注目したのは、道徳論を扱った第四章。ブルーノは善悪のような相反するものの一致を説いているといい、その一致概念それ自体はクザーヌスに多くを負っているらしいのだけれど、あえてそれを道徳にまで拡張しているところがブルーノの斬新な点なのだという。さらにまた、その相反の一致と、生成変化・流転とがイコールであるとされ(!)、相反するもの同士の間に社会的な「靱帯」、つまり相反するもの同士が互いを前提として存立するという関係が形成されるという議論が展開するのだという。うーむ、ブルーノが体現する、なんともしなやかな、時代をはるか先取りした知性……。これはもとのテキストもぜひ読んでみたいところだけれど(邦訳が結構あるみたいだ)、それにしてもこういう、ある種の一貫した思想的人物像を取り出す仕事というのはやはり重要だし、読んでいて好感がもてる。というわけで、同書には個人的に拍手を贈りたい。

古代ギリシアの食

最近、巡り合わせとしてあまり面白い暇つぶし本に出会わないなあと思っていたら、これはなかなか軽妙なエッセイだった。丹下和彦『食べるギリシア人ーー古典文学グルメ紀行』(岩波新書、2012)古代ギリシアの食について、いろいろな蘊蓄が楽しめる(笑)。ホメロスの叙事詩に出てくる英雄たちが何を食していたかとか、酒をめぐるいろいろな探索、海産物などの庶民の食、悲劇と喜劇に登場する食、排泄についてなどなど。個人的には、たとえば手拭きにパンが使われていたなんて話などは新鮮だった。手を拭いたパンはそこいらに捨てて犬の餌になっていたのだとか。また、喜劇には食の場面が多々登場するのに対して、悲劇にはほとんど見られないというあたりの話がとりわけ興味深い。食というのは、やはり悲劇のテーマ(復讐とか)にはなじまない。腹いっぱい食べてしまえば、恨み辛みなんかどーでもよくなってしまうということかしら……。満腹したエレクトラとオレステスって、ちょっと見たくないかもね(笑)。でも同書では、野外劇場という制約が、悲劇の場合、飲食を含む室内の描写を阻んだ可能性もあるとも指摘している。なるほど。ギリシア喜劇だと、最初から通して室内、という設定もそれなりにあるということか。ギリシアの喜劇作品とかこれまであまり読んでいないのだけれど、がぜん読みたくなってきたな(笑)。