モニカ・アッツォリーニ「星に健康を読む−−ルネサンス期ミラノの政治と医療占星術」(Monica Azzolini, Reading Health in the Stars – Politics and Medical Astrology in Renaissance Milan, Horoscopes and Public Spheres: Essays on the History of Astrology, vol. 42, 2005)という論文を読む。15世紀のミラノにおいて、医療占星術はどういった用いられ方をし、どう受容されていたのかを検討しようという論考。導入部分の掴みとして取り上げられている話がなかなかに興味をそそる。1492年にルドヴィーコ・イル・モーロ(スフォルツァ)は、教皇インノケンティウス八世の病状について占星術史のアンブロージョ・ヴァレージ(Ambrogio Varesi)に予言を依頼した。ヴァレージは教皇の死を予言し、教皇は日時的には前倒しで亡くなったものの、ルドヴィーコは別段その占星術の信頼性を疑うこともなく、一方で「次期教皇はスフォルツァ家に有利な人物になる」という予言に安堵さえし、さらに弟のアスカーニオもその予言を信じて政治的影響力を奮い、ロドリーゴ・ボルジアの選出(アレクサンデル六世)に一役買ったという……。
このように、日時占星術も歴史上重要な役割を担っていたことが窺えるというわけなのだけれど、論文はもう一つの宮廷占星術の中心とされる医療占星術を主に扱っている。そちらもまた、同時代的批判もあったものの、医者も患者も医療占星術を斥けるどころか、先端的な科学と見なされて信頼を得ていたらしい。パヴィア大学の医学部のカリキュラムは史料があまりないらしいのだけれど、論文著者はボローニャとの密接な関係から同じようなカリキュラムが採用されていたと推測している。学生はたとえばガレノスの『厄日について(De diebus criticis)』の三つの書を最初の三年間で学び、三年目と四年目では偽プトレマイオスの『ケンティロクイウム(Centiloquium)』、ギレルムス・アングリクスの『見えない尿について(De urina non visa)』などを占星術の訓練の一環として学んだのだろうという。さらに学生のノートには、多くのアラブ系の占星術文献からの一節が散見されるのだとか。論考はさらにパヴィア公の私設図書館の蔵書を取り上げ、最終的にミラノ公ジアン・ガレアッツォ・スフォルツァの病気と死について、同公がルドヴィーコやアスカーニオに宛てた書簡の分析を行っている。個人的に気になるのは、やはり同時代的にそれなりに存在していたらしい占星術批判だ。論文著者は注のところで、イタリアのエリート層や医師たちが実際にどの程度医療占星術を信頼していたかは、宮廷占星術のさらなる研究がなければ確証できないと述べた上で、医療占星術への批判を展開する著者がそれなりに多いことは、逆にその医療占星術がそれなりの人気を博していたことを示している、とも述べている。代表的な批判者として挙げられているのはピコ・デラ・ミランドラ、またさらに後の16世紀のフラカストロとトゥリニの論争なども言及されている。うん、いろいろチェックしてみたいところだ。