なにやらトルコが騒然としているようだけれど、そんな中、災禍表象学の一環として、災害に関する人類学的なフィールドワークだという木村周平『震災の公共人類学−−揺れとともに生きるトルコの人びと』(世界思想社、2013)にざっと目を通してみた。トルコも日本同様に有数の地震国だといい、国民が(やや自虐的に?)みずからのことを「忘れっぽい」国民だと言っていることや、科学者ですら災害を、どこか神罰的な意味合いを重ねて捉えている(これはイスラム教の影響が大きいということだが)といったあたり、とても興味深く読んだ。で、同書がなによりも切実な問題として扱っているのは、後半の主軸となる「災間期のボランティア」の問題。一般に、災害直後に組織された救助・救援のボランティア組織は、時間の経過とともに解体していくことが多く、いずれにしても結局は消滅か制度化かの道をたどりがちだという。では、その分岐点はどこにあるのか、活動の持続を促す要因はどのあたりに見出させるのかが問題となる。けれどもこれは単純な定式化は難しいらしく(それは十分理解できる)、いきおい事例研究にならざるをえないようだ。
いったん形成された集団が、離散・解体を免れてそれなりに維持されていく上で何が必要なのか。同書によれば、当然ながら組織自体も試行錯誤で持続の試みを進めていて、メンバーを拡げるための教育・普及活動や、メンバーの参加をつなぎとめるための体制作り(制度化)、行政や民間との連携(必ずしもリジッドではないようだが)などなど、様々な手を打っていることがわかる。著者はそれらをつなぐ糸として、人々の様々な関与が可能になるような曖昧かつ柔軟な組織のありようを挙げている。たとえば組織内で行われる討議なども、「どっちつかず」の場合が、かえって多様な参加のありようを可能にするのだという。とはいえ、一方で軸をなす組織形態はそれなりにリジッドなものでなくてはならないはず(事務所も構えなくてはならないし、事業資金の調達などもある)。そうした曖昧さとリジッドさの兼ね合いはどう設定されるのか……。そのあたりはかなり微妙な問題らしく、同書の議論からもはっきりとは見えてこない。でも、事例研究の積み重ねという意味で、このような人類学的アプローチには今後とも大いに期待したいところではある。