さらにネットで公開されている博士論文から、ブリュノ・フェデュッティ『一角獣のイメージと知識(中世末期から一九世紀)』(Bruno Faidutti, Image et Connaissance de la licorne – fin du moyen âge XIXme siècle, Univ. Paris VII, 1996)(PDFはこちら)というのを見てみた。一角獣にまつわる図像・文献を広範に渉猟した力作論文なのだけれど、当然ながらこれに≪貴婦人と一角獣≫の話も出てくる。というか、正確にはそのタイトル(おそらく後世に付けられたものだろうけど)の背景をなすような文学作品が取り上げられている。『一角獣に乗った貴婦人とライオンに乗った美しき騎士の物語』(Roman de la dame à la licorne et le beau chevalier au lion)というのがそれで、フランスの国立図書館に単一の写本でのみ残っている作品なのだとか。あまりの美しさに神が一角獣をもたらしたという貴婦人と、その女性を慕いつつ冒険を重ねてライオンを捕らえる騎士とが、すれ違いを繰り返し、最後には騎士が幽閉されていた貴婦人を解放して、それぞれ一角獣とライオンに乗って去って行くという話らしい(こうまとめてしまうと身も蓋もないが)。≪貴婦人と一角獣≫は、英語では「The Lady and the Unicorn」と表記されているけれど、フランス語では「La dame à la licorne」で、乗っているわけでもないのに「à la licorne」というのはどうしたわけかとか、あるいは一角獣とともにライオンが描かれているのはどういうことかとか(これは注文主のル・ヴィスト家がリヨンの家柄だからという話も、上の『芸術新潮』には出ているが)も含めて、いろいろな疑問の一端についての回答がもしかするとその物語にあるのかも(?)。これはぜひ見てみたい。同物語についての研究文献などの詳細がこちらにある。
モニカ・アッツォリーニ「星に健康を読む−−ルネサンス期ミラノの政治と医療占星術」(Monica Azzolini, Reading Health in the Stars – Politics and Medical Astrology in Renaissance Milan, Horoscopes and Public Spheres: Essays on the History of Astrology, vol. 42, 2005)という論文を読む。15世紀のミラノにおいて、医療占星術はどういった用いられ方をし、どう受容されていたのかを検討しようという論考。導入部分の掴みとして取り上げられている話がなかなかに興味をそそる。1492年にルドヴィーコ・イル・モーロ(スフォルツァ)は、教皇インノケンティウス八世の病状について占星術史のアンブロージョ・ヴァレージ(Ambrogio Varesi)に予言を依頼した。ヴァレージは教皇の死を予言し、教皇は日時的には前倒しで亡くなったものの、ルドヴィーコは別段その占星術の信頼性を疑うこともなく、一方で「次期教皇はスフォルツァ家に有利な人物になる」という予言に安堵さえし、さらに弟のアスカーニオもその予言を信じて政治的影響力を奮い、ロドリーゴ・ボルジアの選出(アレクサンデル六世)に一役買ったという……。
このように、日時占星術も歴史上重要な役割を担っていたことが窺えるというわけなのだけれど、論文はもう一つの宮廷占星術の中心とされる医療占星術を主に扱っている。そちらもまた、同時代的批判もあったものの、医者も患者も医療占星術を斥けるどころか、先端的な科学と見なされて信頼を得ていたらしい。パヴィア大学の医学部のカリキュラムは史料があまりないらしいのだけれど、論文著者はボローニャとの密接な関係から同じようなカリキュラムが採用されていたと推測している。学生はたとえばガレノスの『厄日について(De diebus criticis)』の三つの書を最初の三年間で学び、三年目と四年目では偽プトレマイオスの『ケンティロクイウム(Centiloquium)』、ギレルムス・アングリクスの『見えない尿について(De urina non visa)』などを占星術の訓練の一環として学んだのだろうという。さらに学生のノートには、多くのアラブ系の占星術文献からの一節が散見されるのだとか。論考はさらにパヴィア公の私設図書館の蔵書を取り上げ、最終的にミラノ公ジアン・ガレアッツォ・スフォルツァの病気と死について、同公がルドヴィーコやアスカーニオに宛てた書簡の分析を行っている。個人的に気になるのは、やはり同時代的にそれなりに存在していたらしい占星術批判だ。論文著者は注のところで、イタリアのエリート層や医師たちが実際にどの程度医療占星術を信頼していたかは、宮廷占星術のさらなる研究がなければ確証できないと述べた上で、医療占星術への批判を展開する著者がそれなりに多いことは、逆にその医療占星術がそれなりの人気を博していたことを示している、とも述べている。代表的な批判者として挙げられているのはピコ・デラ・ミランドラ、またさらに後の16世紀のフラカストロとトゥリニの論争なども言及されている。うん、いろいろチェックしてみたいところだ。