昨年は長崎通詞の言語観や、明治初期ごろの近代の翻訳についての議論を参照してみたが、今度は見方を変えて、16世紀に日本にやってきた宣教師の側からの言語認識の問題を見てみたいと思う。そのための手がかりとなっているのが、小鹿原敏夫『ロドリゲス日本大文典の研究 (和泉選書)』(和泉書院、2015)。16世紀末に来日したイエズス会司祭のジョアン・ロドリゲスが、1604年と1620年にそれぞれ著した日本語の文法書『日本大文典』と『日本小文典』について、同書はその文法項目の立て方や個別の文法問題などを中心に読み解こうとする労作。様々なトピックが扱われているが、今回はまず全体像を扱った第一章から、「主語」「主格」の話(ほかに大文典と小文典との文法記述の違いなどを扱っている)を扱った第二章までを眺めてみたところ。
まずロドリゲスは基本的に、ラテン語の文法書を参考に日本語の文法を説き起こしているという。その際に参照された当時のラテン文典として、アルヴァレス(ポルトガルの16世紀のイエズス会士)の文典と、ネブリハの文法書(15世紀末)があったと同書は述べている。そしてさらに、中世末期の思弁文法学というものが影響しているという。思弁文法学というのは、アリストテレス論理学にもとづいて文法学を解釈し直したもので、13世紀から14世紀中葉まで隆盛を極め、その後は唯名論の優位によって下火になった。けれどもその痕跡は、たとえば「主語(suppositum) – 述語(appositum)」という、もとは論理学の用語の導入などに残っているという。面白いのは、ロドリゲスのころには完全に下火だったにもかかわらず、彼がその「主語」概念を、伝統的ラテン文法の主格(nominatiuo)概念とやや混同しつつも(形式的主格と、意味的な主語との取り違え)、とりあえず用いていること。その意味でロドリゲスは、準拠していたアルヴァレスやネブリハの文典を逸脱してしまうわけなのだが、同論考ではそれを、ロドリゲスの思弁的文法学への理解不足、あるいは彼以前の宣教師たちからの影響でロドリゲスが思弁的文法学を持ち出しているだけでは、というふうに解釈してみせる。けれども、たとえばそうした逸脱を突きつける異質さが日本語にあったということなのではないか、といった設問も可能なのではないかと思う。そうしたアプローチを探っていけないかというのが、ここでの問題意識となる。もちろんすぐに深められるわけではないけれど、少しそのあたりを考えながら同書をゆっくり眺めていきたいと思う。