言語とノスタルジー

複合化に開かれるために


 バルバラ・カッサンの小著『ノスタルジー』(Barbara Cassin, "La nostalgie : Quand donc est-on chez soi ?", Fayard/pluriel, 2013-15)をざっと読んでみました。カッサンは国際哲学コレージュのディレクターだった人物で、2018年にアカデミー・フランセーズ入りしています。

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 書影は現在出ているものとちょっと違うので、省略。すでに邦訳も出ていますね。カッサンの初の邦訳のようです。

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 基本的に文学(オデュッセイア、アエネイス、そしてアーレント)におけるノスタルジーをテーマとしたエッセイです。ホメロスやローマ建国神話のころには、そもそも「ノスタルジー」という言葉(17世紀に医師がスイスで考案した言葉とのこと)がないので、ある意味アナクロニズムなアプローチという感じもしなくもないですが、最後のアーレントについての章は印象に残ります。そこでは、母語とノスタルジーの関係について触れています。

 アーレントはユダヤ人ですが母語はドイツ語でした。亡命生活を余儀なくされ、英語を中心としたポリグロット(多言語話者)として生きていきます。そのことから、諸言語間での曖昧さ、さらには一言語内部での曖昧さなどのテーマが可視化することになります。著者はこれを敷衍し、言語はもとより土地に帰属するものではなく、(人が何語でも学ぶことができるように)つねに「土地を追われている」存在だととらえます。

 さらにそこから、全体主義を招きかねない均一化に対して、普遍や哲学的真理をラディカルに複合化していくこと(言語の複数性を武器として、ということでしょう)こそ、政治的に正しいあり方だという指摘がなされます。ノスタルジーを単に懐古的に捉えるのではなく、それを積極的な前進の力とすることを、訴えているといってもよいかもしれません。これはある意味、とても面白い視点のように思われます。