「葉隠れ」的日本

「葉隠れ」はおそろしい?!


 以前、『反「暴君」の政治史』などが面白かった将基面貴巳氏の新刊、『従順さのどこがいけないのか (ちくまプリマー新書)』(筑摩書房、2021)をざっと読んでみました。若い人向けに平坦な語り口で説く「不服従のすすめ」という感じの一冊です。好感度は高いと思います。

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 一番の読みどころは、『葉隠れ』(江戸中期の家訓集です)を例に、日本独特の忠信について指摘した箇所でしょうか。西欧の思想でも、あるいは中国の儒教の伝統でも、信義を貫く当の対象というのは、究極的に「リーダー」個人ではなく、そのリーダーが体現している理想そのものであるとされ、リーダーが誤る場合には、反旗を翻したり、そのリーダーのもとを去ったりするのを良しとするのに対し、「葉隠れ」では、ひたすらリーダーに尽くすことが美徳とされ、しかもその目的は、リーダーのふがいなさを世間から隠匿するためだ、というのですね。

 個人的にはかなり気色悪い論理に思えますが、ではその基盤となっている思想は何なのか、なぜそうすることが美徳とされるのか、詳しく見てみたい気もしなくもありません。怖いもの見たさ、でしょうか???