ジョイスの中世

これまた速攻購入で速攻読了となったのが宮田恭子『ジョイスと中世文化』(みすず書房、2009)。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を入り口として、そこに描かれたものの背景に広がる中世世界を訪ねるという一冊。バリバリの学術書かと思いきや、比較的自由な筆致で綴られた好エッセイという感じで、中世についての幅広い概論みたいになっている。研究書として異なる二系列を突き合わせるような場合、どちらを主軸に置いて語るのかのバランスというのは結構難しい気がするのだけれど(以前にもそういうことを言ったけれど)、本書はエッセイ的にまとめることで、かなり自由にジョイスと中世を行き来できるようにしている。これは見事かも。個人的に『フィネガンズ・ウェイク』はペーパーバック版とか持っていたりするのだけれど、実はさっぱり読んでいない(笑)。『ユリシーズ』も挫折したクチなので(苦笑)。そんなわけで、ジョイスが中世にかなりの関心を抱き、作品にこれほどいろいろな要素を取り込んでいるというのも、かなり新鮮だった。やっぱり20世紀前半あたりまでは、スコラ学や中世文化についての教養は今以上に重要だったのだろうなあ、と。

本書が扱うテーマも実に様々。たとえばパドヴァ大学関連(2章)などでピエトロ・ダバノ(アーバノのピエトロ)が何度か言及され、クザーヌスとジョルダーノ・ブルーノを介して伝えられる対立物の「反対の一致」思想をジョイスが受け止めている話などは印象的。アルベルトゥス・マグヌスもパドヴァ大学で学んでいた、なんて話も出てくる。自由学芸がらみ(7章)では、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のフレスコ画「アクィナスの勝利」の話も出てくる。トマスの下に並ぶ14人の学芸の擬人像(左側の7人は教会の学問、右側の7人は伝統的自由学芸)と、それに関連する歴史上の人物が紹介されているのだけれど、あれれ、この記述ではアリストテレスが二回出てくることになってしまうような……。7学芸への人物配置はシャルトル大聖堂をほぼ踏襲しているとされているけれど、そちら自体の人物の特定も決定的なものではないという。なるほどね。ちょっと確認してみようか。

音楽に関する章(8章)も興味深い。聖セシリアが音楽の守護聖人とされるのは14世紀以降で、実際にフレスコ画などで聖セシリアが楽器と関連づけられるのも15世紀以降のようだと著者は述べている。そもそも楽器を演奏する天使の絵が増えるのも13世紀以降で、著者はそこに神学思想のなんらかの変化を見てとっている。トマスが音楽の自律的な価値をいくぶん認め、楽器の使用については否定的ながら、なんらかの戸惑いを示しているとの指摘もある。このあたりも、ぜひもっと詳しく見たいところ。