エピクテトスの『手引きの書』(ἑγχειρίδιον)へのシンプリキオスの注解書を一般向けに論じたイルセトロ&ピエール・アドの『古代における哲学の修得』(Ilsetraut & Pierre Hadot, “Apprendre à philosopher dans l’Antiquité”, livre de poche, Librairie Générale Française, 2004)を、だいぶ前に一度読んだシンプリキオス『エピクテトス「手引きの書」注解』の希仏対訳本(第一巻)( “Commentaire sur le Manuel d’Epictète”, tome I, trad. I. Hadot, Les Belles Lettres, 2003)を引っ張り出しながら、眺めているところ。これ、基本的に中庸の倫理をひたすら説いているような印象だけ妙に残っているのだけれど(笑)、今改めて見てみると、細かいところがいろいろ面白い。アド夫妻本が導きの糸になってくれているからかしら?
エピクテトスのもとの書は、弟子のアリアノスが師の講義を編纂した2つの書のうちの1つ。アドによれば、1世紀以降の教育形態は、それ以前の討論形式に代わり文書の説明が主になっていたとのことで、それに質疑応答(対話)が続くのが普通だったといい、アリアノスが編纂したのはその対話部分らしい。師の教えをおそらくは凝縮して伝えることが執筆目的だったのだろうという。で、時代がだいぶ下ってからのシンプリキオスの注解は、その執筆自体がすでにして一種の瞑想の修練だった可能性があるという。序文などは後期の新プラトン主義陣営の注解書の形式を踏襲しつつ、モラル的な面ではストア派と逍遙学派、プラトン主義のいわば折衷的なスタンスを取っているというわけで、うーん、なんだかそれは非物質界と物質界との「中庸」域をめぐる考察とでもいう感じ。実際、プラトン主義的には、エピクテトスの『手引きの書』は、非物質界の認識へと高まるための初級・中級段階(手引き書の内容もまた二部に分かれる)、ただし高みを目指すなら必須の課程という位置づけなのだという。なるほど、このあたりは漫然とテキストを見ていてもなかなか思い至らないところ(苦笑)。
私は同じPierre Hadotの「Introduction à la philosophie antique」と「Exercices spirituels」でギリシア哲学に興味を持つようになりました。明晰なフランス語で書かれていて、実に分かりやすいおすすめの著書です。
ありがとうございます。『Exercices……』は論集でしたね。抜粋的に一部しか読んでいないのですが、確かにとても明解な論考という印象だったように思います。今出ているのは増補版のようですね。そのうち、ちゃんと通読したいと思います(笑)。