古代における「胚」

メルマガのほうで見ているインペトゥス理論がらみかどうかと思い、フランスのVrinから去年出た、リュック・ブリソンほか編の論集『胚:形成と生命活動』(“L’embryon – Formation et animation”, éd. Luc Brisson et al., Vrin, 2008)を読み始める。古代から中世にかけて、思想史的に胚(胎児)の形成や活動がどう考えられていたかをめぐる論集。まだ3分の1ほどだけれど、なるほどいろいろと整理されていてためになる。そもそも胚は生命体と考えられていたのかどうか、という点については、プラトンがそれを生命体と考えていたのに対して、ストア派は腹部の一部で生物ではないと(木になる果実のようなものと)見なし、エンペドクレスは呼吸をしていないから生命体ではないとし、セレウコスのディオゲネスはまだ魂を欠いていると考えていたという。ガレノスは種子からして生命体という立場だそうだ(ブドン=ミヨーの論文)。個人的に面白いのはグルニエの論文で、ストア派が魂の形成をどう考えていたかをまとめたもの。それによると胎内の胚はまだ生命体とは考えられていないものの、誕生とともに、ちょうど熱い鉄が冷やされることによって固まる「焼き入れ」のようにして、息吹が性質を変え、かくして魂が形成されるのだという。なるほど、そういえばストア派の魂ってば、物質と一続きだったっけね。それにしても「焼き入れ」の比喩を出してくるとは……(笑)。なにかこの、金属と生命の類比というのは気になるところ。

インペトゥスがらみでも、アリストテレスの『動物生成論』にちょっと興味深い箇所があることが判明(モレル論文)。また、この後も双子の場合の問題とか、重要著作とされるAd Gaurum(ポルピュリオス?)についてとか、期待値の高い論考が並んでいるようで、なかなか楽しみ。