プセロス「カルデア神託註解」 15

Ὀνόματα βάρβαρα μήποτ᾿ ἀλλάξῃς.

Τοῦτ᾿ ἔστιν · εἰσὶν ὀνόματα παρ᾿ ἑκάσθοις ἔθνεσι θεοπαράδοτα, δύναμιν ἐν ταῖς τελεταῖς ἄρρητον ἔχοντα. ¨Μὴ
¨ οὖν μετ᾿ ¨αλλάξῃς¨ αὐτὰ εἰς τὴν ἑλληνικὴν διάλεκτον · οἶον τὸ Σεραφεὶμ καὶ τὸ Χερουβεὶμ καὶ τὸ Μιχαὴλ καὶ τὸ Γαβριὴλ. Οὕτω μὲν γὰρ λεγόμενα κατὰ τὴν ἑβραϊκὴν διάλεκτον, ἐνέργειαν ἐμ ταῖς τελεταῖς ἔχει ἄρρητον · ἀμειφθέντα δὲ ἐν τοῖς ἑλληνικοῖς ὀνόμασιν, ἐξασθενεῖ. Ἐγὼ δὲ οὔτε τὰς χαλδαϊκὰς δέχομαι τελετάς, οὔτε τῷ δόγματι πάνυ προστίθεμαι. Ἀνεκάλυψα δέ σοι μόλις τοῦ λόγου τὴν κρυφιότητα.

「異教の名前を換えてはならない」

これは次のような意味である。それぞれの部族には神がもたらした名があり、それは儀式において言葉にできない効力を発揮する。それをギリシア語へと取り「換えて」は「ならない」。たとえばセラフィム、ケルビム、ミカエル、ガブリエルなどである。なぜなら、それがヘブライ語での発音だからだ。それらは儀式において言葉にできない作用をもたらす。ギリシア語の名前に変えてしまうと効力を失ってしまう。私としては、カルデア人の儀式を受け入れないし、その教義をすっかり信じるわけでもない。それでもあなたに、やっとの思いで神託の謎を開示してみせたのである。

お試し:文献管理ソフト

ボチボチとは読んでいるものの、いろいろため込んでいるPDF文献(笑)。Acrobat Readerがバージョン10になって注釈機能が付いたことで、「書き込みしながら読む」みたいなことを多少ともバーチャルでできるようになり、とても重宝しているのだけれど、いかんせんダウンロードしてくるPDFはファイル名も雑多で、どれがどの論文だったか混乱してくる。というわけで、PDFの管理ソフトを試してみることにした。以前から少し噂を聞いていたMendeleyPapersあたりがやはり定番らしいので、とりあえず試してみる。で、結論から言うと、どちらも一長一短という感じ。

前者はとりあえず無料版。共同作業を視野に入れたソーシャル志向のツールという感じか。実際、オンラインサービスにアカウントを作る必要がある(無料だけど)。また、フォルダを指定しておくと、それを監視して自動的に登録してくれる機能などが便利そうではある。wordのファイルなんかも登録できる。まだそれほど長時間試してはいないのだけれど、内蔵ビューワの動作が若干怪しいときがある。日本語フォントに変な記号がくっついていたり、英文でもレイアウトがちょっとイカれていたり。これに対してシェアウエアの後者は、作りは結構しっかりしている気がする。ローカルにあるファイルを読み込んでMatchボタンを押すと、Google Scholarでもって検索をかけ、該当するものがあれば書誌情報などを取り込んでくれる。wordのファイルは登録できないような気がするが……。ま、ドローバックというほどのものでもないけれど。Mendeleyが内蔵ビューワで直接マーキングできるのに対して、Papersのほうは外部でAcrobat Readerを呼び出す必要があったりとかもする。このあたりはちょっと惜しいところかも。両者ともUIは結構似ているが、そのモデルになっているのはやはりiTunes。音楽のバラ売りと論文のバラ売り(無料のものも含めて)は、確かにパラレルな動きではあるわけだし、インターフェース的に似てくるのもある意味当然かもしれないけれど、いずれにしても(以前iOSについても言ったけど)こういうインターフェース面で一種のパラダイムを作ってしまうところがAppleの実に個性的なところだということを、今回もまた強く感じさせられる……。

……で、個人で楽しむ私のようなユーザからすると、案外Papersのほうがしっくりくる気がする。表示のバグも見あたらないし、シャアウエア代払ってもいいかなあ、なんて。

中世の「自由討論」

これまたオリヴィについての調査の一環として、シルヴァン・ピロンの論文「南部のストゥディアおよびパリにおけるフランシスコ会の自由討論」(Sylvain Piron, ‘Franciscan Quodlibeta in Southern Studia and at Paris, 1280-1300’, in in Chris Schabel dir., “Theological Quodlibeta in the Middle Ages. The Thirteenth Century”, Brill, 2006)を読む(PDFはこちら)。うむ、いろいろ勉強になる。自由討論は雑多な問題について教師と学生が自由に討論するというもので、この形式を最初に導入したのは、やはりフランシスコ会派のジョン・ペッカムだったという。1272年から75年ごろのオックスフォードでのこと。これが続くマチュー・アクアスパルタなどにも受け継がれていき、各地にも拡がっていく。13世紀末から14世紀初めにかけて、これは大学だけでなく、地方の修道院などでも行われるようになるらしい(このあたり、何やら「哲学カフェ」とか「白熱教室」とかのプロモーションをも彷彿とさせるけれど……(笑))。この論考は、記録として残っている写本(自由討論集)をつき合わせながら、きわめて実証的に、中央(パリ)の大学での自由討論と、オリヴィを始めとする説教師・学士などが行った地方の自由討論との共通基盤や相違などを、全体像として浮かび上がらせようという興味深いもの。後者の場合にはオーディエンスも単に修道士たちだけではなく、一般の者にも開かれていて、しかもアカデミックというよりも実務的・日常に関係した問題などを扱うようになっていくらしい。対する大学の自由討論は、同様にオープンではあっても当然ながらアカデミックな層に限定され、扱われる問題はより神学的・哲学的で、いろいろな政治的な思惑なども絡んでくる。とまあ、こう簡単にまとめてしまうとナンだけれど(苦笑)、実際の論考が取り上げている話は実に多岐にわたっている。中心的に多くの文章が割かれているのはオリヴィについてだ。異端嫌疑のいきさつや、オリヴィによる初のインデクスの導入の話、具体的な議論の概要、晩年にいたるその自由討論の内容的変化など、様々なトピックを紹介しまとめている。