ロジャー・ベーコンのこと

どちらかというと研究ノートの類なのだろうけれど、ジェレマイア・M・ハケット「バースのアデラードとロジャー・ベーコン、英国初期の自然哲学者・科学者」(Jeremiah M. Hackett, Adelard of Bath and Roger Bacon: early English natural philosophers and scientists, in Endeavor, vol.26(2), 2002)という短い論考に眼を通す。ロジャー・ベーコンは15世紀以降に数多くの錬金術・医学の著書の作者とされるようになり、ルネサンスにそのイメージが定着し、19世紀にいたるまで、英国の最初期の医学・実験分野での英雄となったものの、20世紀になってソーンダイクやデュエムによってこの「近代の実験科学の粗」という神話に疑義が差し挟まれ、その基本スタンスが近代的な科学精神とはだいぶかけ離れていたことが指摘されるようになった、という次第。ベーコンは結局、まだまだ書物的な知見が大手を振っていた時代に生き、あくまでそうした状況の中で活躍したわけで、観察や実験を重視するようになっていったとはいえ(虹のスペクトルについて論考など)、それはまだ書物的知見の確認的な意味合いが強く、近代に見られるような発見的技法としての実験を他に先んじて採択していたのではない、というわけだ。うーむ、このあたりの解釈は実のところどうなのかなあ、という感じも少しして、この部分だけでも十分に面白いのだけれど、さらに話はその書物的知見がどういうものだったかという点に及んでいていき、ベーコンが新プラトン主義、アラビア哲学、ユダヤ哲学などの伝統に大きく依存していたことが改めて指摘されている。その際、それらを取り込む大きな契機となっていたのがバースのアデラードによるギリシア・アラビア文献のラテン語訳の数々だったと説明されている。バースには訳書のほかに注釈書もあり、さらには(本人の著書かどうかはともかく)教科書の類もあったようで、ベーコンはバースを一種の権威として盛んに取り込んでいるのだという。このあたりも、具体例でもってより詳しく論じていただきたい部分ではある。

↓wikipedia(en)より、バースのアデラードによるエウクレイデス『原論』ラテン語訳の扉絵。学生たちを教える女性像ということで、幾何学の擬人化では、とも言われているのだとか。

ダンテの命日だというので……

『チェーザレ』の監修者でもあるダンテの専門家、原さんのツィートで知ったのだけれど、9月14日はダンテの命日(さらにチェーザレ・ボルジアの誕生日でもあるらしい)。ダンテの没年は1321年なので、今年は没後690年か……というわけで、これを記念し、ちょっと予定を変更して未読のオンライン公開文献にいくつか目を通してみる。基本的に古いものばかり。『神曲』の中のオルフェウスの位置づけをめぐる論考とか、同書での教皇ケレスティヌス5世の扱い(ダンテによれば、教皇職に背く形で退位したとされ、地獄に置かれている)をめぐる論考とか。基本的に、『神曲』内に誰がどう位置づけられているかというのは、昔から様々に論考の主題になっているらしいことが垣間見えて興味深い。

で、個人的にとりわけ面白く読めたのがパスクアーレ・アッカルド「ダンテと医学 – 濫用の領分」という短い論考(Pasquale Accardo, Dante and Medicine – The Circle of Malpractice, Southern Medical Journal, vol.82:5, 1989)。『神曲』の中には意外に医学に関する言及がないと指摘する著者は、さしたあり医学関係者が作中のどこに位置づけられているかを抜き出してみる。天国編にペトルス・ヒスパヌス(のちの教皇ヨハネス21世)とタッデオ・ディ・アルデロット(ボローニャ大学でアラビア医術の紹介に従事した人物。ダンテも講義を聴講しているかもという話)、地獄編にはマイケル・スコット(フリードリヒ2世に仕えた学僧だが、魔術を信奉したとされる)、ディオスコリデス(薬草学の始祖の一人)、ヒポクラテス、ガレノス、アヴィセンナ、アヴェロエスなどが名を連ねている。マイケル・スコット以外は皆異教の者として第一の階層(リンボ)に置かれている。で、著者はそれらのセレクションが医学以外の部分でなされていて、ダンテが医学をどう見ていたかは明らかになっていないと断じ、別筋のアプローチを提案する。その鍵が、ソドミーでもって断罪されている登場人物たちだという。『神曲』でのソドミーが近代的な性的倒錯の意味ではなく、より広義な聖書的意味での倒錯なのではないかという説(Kay説)に従い、どうやらその断罪されている人々は、おのれの職務において本来の目的に才を使わず、売名その他の逸脱した行為に手に染めているらしいことが示唆されているのではないかという。文法家のプリスキアヌスが地獄にいて、同じく文法家のドナトゥスが天国にいるのも、前者があまりに衒学的な著書を記し、後者が平坦な入門書を記したからではないか、と(笑)。で、ダンテ自身、医者・薬剤師のギルドに入っていたことを記して論考は閉じられている(ギルド加入はプリオーリ、つまり行政府の高官になるために必須の条件で、詩人にはギルドがなかったためか(笑)、ダンテは医者・薬剤師のギルドに入ったのでは、と……)。いや〜なかなか面白いっすね、このあたりの話。

↓wikipedia(jp)から、おなじみのダンテのフレスコ画。アンドレア・デル・カスターニョ画(1450年頃)

ヘンリクスの個体化論

オリヴィやスコトゥスなどの13世紀以後のフランシスコ会系の論者を考える上で、少なからず重要なのがガン(ヘント)のヘンリクスらしい。例の山内志朗氏の『存在の一義性を求めて』でも、スコトゥスは「師事」したヘンリクスを批判的に乗り越えようとしているとしているし、先日のジョルジョ・ピニの論考でも、ヘンリクスは言葉が概念ではなく外界の事物を直に表す記号だとしている点はスコトゥスに通じるものもあるものの、一方では理解の様態と意味作用の様態との並行関係(理解の精度が増すほどに意味の精度も増すというもの)を主張し、その点でスコトゥスとは対立するのだという。なるほど、そのあたりも含めてヘンリクスについても多少囓っていく必要がありそうだ。

というわけで、早速マルタン・ピカヴェ「ガンのヘンリクスによる個体化」(Martin Pickavé, Henry of Ghent on Individuation, The Proceedings of the Society for Medieval Logic and Metaphysic, volume 5, 2005)という論考に目を通してみた。ヘンリクスによる個体化論は、『自由討論集』(Quodlibet)2巻の問題8や、5巻の問題8、11巻の問題1などに散見されるといい、特に2巻の問題8では、物質的形相においては質料(量のもとに置かれる)によって個体化がもたらされること、また非物質的形相(天使とか)においては神が作用因となって個体化がもたらされることを論じているという。ところが著者によると、これは「コインの表裏の片方」でしかないのだそうだ。というのは、5巻の問題8(と11巻の問題1)においては、それとは異なる、個別化の原理としての否定という別筋の議論が示唆されているからなのだそうで。個別化をもたらす原理は肯定的・実体的な関係ではなく、否定的なもの、内部からは多様化の可能性を取り除き、外部からは同一化の可能性を取り除くという否定的な作用にほかならないということらしい。うーん、これはちょっとよくわからない議論なのだけれど、著者によると、この二重の個体化論のそちら否定的側面は、あまり取り上げられてこなかったという。

ちなみにオンラインで入手できるヘンリクスのテキスト(とりあえずまとまっているのはこちら→Henry of Ghent Series)には、『自由討論集』の2巻はあるのだけれど、5巻や11巻はまだなく、残念ながらチェックすることができない(でも公開準備はしているのかな?)。その『自由討論集』2巻の問題8というのは、「神は二体の天使を実体のみによって区別しうるか」(Utrum posint fieri a Deo duo angeli solis substantialisbus distincti)というもので、「これは本質において分割不可能な単一のものが、どのように数の上で(個的に)複数をなしうるのかという問題だ」とした上で、ヘンリクスはアリストテレス『形而上学』12巻の「複数であるものは、すべて質料を有する」という一節を解釈し、アヴィセンナを引いて、質料はもとよりそれが従属する量(形相が規定する)によって分割可能なものであり、したがって物質的な形相は質料を有することによって複数化されることになる、としている。

シャルトル大聖堂の聖母扉

去りゆく夏に思いを馳せつつ文献読み(笑)。ごく短いペーパーだし、ちょっと古いのだけれど、とりあえず面白かったので挙げておこう。ティトゥス・ブルクハルト「自由七科とシャルトル大聖堂の西正面扉」というもの(Titus Burckhardt, “The Seven Liberal Arts and the West Door of Chartres Cathedral”, Studies in Comparative Religion, Vol. 3, No. 3 (1969))。「Chartres and die Geburt der Kathedrale」という著書からの抜粋らしいのだけれど、わずか4ページ(正味3ページ)で、シャルトル大聖堂の西正面扉口にある、聖母マリアを囲む自由七科の擬人化とそれらに対応する学知の要人たちについてきっちりとまとめられていて勉強になった(笑)。なぜ自由七科がマリアと関連づけられているかというと、自由七科は学知と同時に魂の才をも表しているのだそうで、マリアは魂にあらゆる才を併せ持つとされていたからとか。で、シャルトルのティエリーは三学科(文法、論理学、修辞学)を表現の学とし、ほかの四学科を知性の学と分類したというが、いずれにしてもそのティンパヌムでは、学そのものを表す女性像と、その学の偉人が配列されていて、文法はドナトゥスとプリスキアヌス、論理学はアリストテレス、修辞学はキケロ、算術はボエティウス、音楽はピュタゴラス、幾何学はエウクレイデス、天文学はプトレマイオスとなっている。ふむふむ、以前、フレスコ画「アクィナスの勝利」での学科と偉人の対応を取り上げたことがあったけれど、やはりそちらとは少し違うようで。個人的には、ダンテが古来からの伝承にもとづき『饗宴』で自由七科を七惑星に対応させた(文法→月、論理学→水星、修辞学→金星、算術→太陽、音楽→火星、幾何学→木星、天文学→土星)のを、3つある扉のうちの左側がなぞっていて、ティンパヌムが蒼天を表しているという話のほうがいっそうの興味をそそるのだけどね(笑)。著者のティトゥス・ブルクハルトは、伝統的な形而上学・コスモロジー研究の著名な大家(詳細がこちらに)。

↓Wikipedia(en)より、シャルトル大聖堂の西正面扉口。この右手の扉が聖母(聖処女)の扉。

「名称論」とスコトゥス

前回の「非存在主義」とかビュリダンの話にも関連するのだけれど、スコトゥスによる「名称論」に関する論考があるというので早速覗いてみているところ。ジョルジョ・ピニ「ドゥンス・スコトゥスおよび一部同時代人らにおける名前の意味」というもの(Giorgio Pini (2001) SigniŽcation of Names in Duns Scotus and Some of His Contemporaries, Vivarium, 39(1), p.20-51.)(PDFはこちらに)。とりあえず前半だけ。ものの名称は一体何を表しているのかという問題は、13世紀ごろ盛んに議論された問題。なにしろそこには認識論(というか、またしてもスペキエス問題)が絡み、やや複雑な様相となっている。同論考では、アリストテレスの『解釈について』の注釈でその義論に参戦したドゥンス・スコトゥスによる整理を追いながら、スコトゥス自身の立場を明らかにしようとする。当時の議論としては、(1)名称が一義的に表すのは知的スペキエス(可知的形象)であるという立場と、いやいや(2)外部の事物そのものであるという立場に分かれ、この後者はさらに、(2a)そこで名称が意味するのは外部世界の個物だという立場と、(2b)そうではなく理解・認識される限りでの事物の本質なのだという立場に分かれるという。13世紀前半はスペキエス論寄りの(1)が優勢らしいのだけれど、トマス以降は(2b)などにシフトしている模様。ただ、理解・認識をどう捉えるかによっては、これは(1)のスペキエス理論にかなり接近してしまう場合もあるようだ。スコトゥスはどうかというと、どれを支持するのか微妙に曖昧で、アリストテレスの正確な解釈としては(1)が、けれども全般的な議論としては(2)、とりわけ(2b)(?)が優れているといった立ち位置らしい。

スコトゥスが(2)に傾くのは、外部世界の事物の消滅後も名称はその事物を表し続けるのかという問題(「空の名前」議論)、あるいは固有名、およびフィクションもしくはキメラなどの虚構物が名前で意味されるのはどう説明されるのかという問題において、スペキエス理論がうまく説明をつけられないからだという。このあたりはまさに非存在主義のお得意とする話だ(笑)。とはいえ、この2bにも問題はあって、この考え方では事物にまつわる真偽判断の際に引き合いに出される属性が、当の事物の属性とはならず、思考される内部世界での属性にしかならないことになってしまう。13世紀末から14世紀初めに活躍したフェヴァーシャムのシモンや、ブラバンのシゲルスなどは、ここから修正的議論として「名前が示すのは事物の本質それ自体である」という説を唱え、スコトゥスの弟子にあたるアンドレアのアントニウスなどもシモンの説を支持しているのだそうだ。スコトゥスはそこまではいっていないのだとか……。

この論考はまだ読みかけなので、この話も続くかも(笑)。

↓wikipedia(en)より、ユストゥス・ファン・ヘント(15世紀)画によるドゥンス・スコトゥス